11、最後の晩餐
そうだ、最後の晩餐を考えよう。
正直葬式以降碌な食事を摂っていない。
何か吐く迄食べるのもいいだろう。
普段なら絶対頼まない激辛を体験するのもいいかもしれない。
娘がいたころは、将来娘に気持ち悪いと言われないように、
栄養管理と運動を欠かさず行っていた。
結局実を結ぶことはなかった、もう我慢する必要がなくなった。
我慢する必要がなくなるといっても、同時期に食欲もなくなるとはとても皮肉なことだ。
日本では行われていないようだが、
海外では死刑囚に最後の晩餐を与えているのをニュースで見かける。
別段あげなければいけないというわけではないし、
そこでめちゃくちゃ高額な物を頼む人がいたりと問題はいろいろあるようだが、
最後にちょっとしたものがあっても良いように思う。
終末期医療で余命宣告を受けた人が最後に好きなものを食べるのも最後の晩餐と言えるだろう。
多くの食事制限と投薬と入院生活の後に、余命宣告があれば好きなものを食べたくもなるだろう。
思い返せば亡くなった父方の祖父は胃を癌で切除していたため、
刺激物やお酒は最後の10年は食べていなかった。
母方の祖父も舌を切除しているのと喉を切っていたため噛む力がなく、
硬いものと逆に弾力のある柔らかいものが食べれていなかった。
私はそういう意味では自主的に制限なく選び放題だ。
以前何かで読んだ印象ではみんな自分にとっての思い出の味を選んでいた気がする。
独身の時によく食べたもの、家族でお祝い事に食べていたもの、
母親の得意料理、ふるさとの定番品。
終末期医療なのだから年を重ねた人がほとんどだ。
そうすると失われたおふくろの味や、上京してしまって馴染みの薄くなった地元飯等、
死刑囚とはまた違った特徴がある。
たしかに味噌汁1つ取っても地方によって味は全く異なるだろう。
しかも昔は嫁入りすればその家の味に合わせていただろう。
私自身何度か引っ越しをしたことがあるが、
元々東京生まれの私には、お雑煮に味噌が溶いてあったり、
海の幸が入っていたりするのはとてもコレジャナイ感があったものだ。
あずきが入っているのはそもそもお雑煮とは思って食べていなく、
後々言われたときに何のことを言われているのかわからなかったものだ。
あれはおしることかぜんざいの仲間だ。
①骨壺の処遇
②地蔵を彫るか
③捨てるのがもったいないものの処遇
④息子と思い出作り
⑤息子たちに何を教えるか
⑥遺書作成
⑦死ぬ手段の選定
⑧できること探し
⑨最後の晩餐 ←New