彼女はモノクロの夢を見る
「君の夢には色がついてるの?」
この質問に、僕は手元の小説から顔を上げ、司書カウンターにいる声の主を見た。
蝉の鳴き声や、部活動中の運動部の掛け声、吹奏楽部の調音の様子が、ガラス窓を通り抜け、冷房の効いたこの図書室に流れこんで来ていた。
「…どうしたんですか?」
突然、現実世界に引き戻された僕の思考は、彼女の問いの意図を理解出来ず、質問で返してしまった。
「モノクロの夢を見る人と、カラーの夢を見る人がいるらしいの。今初めて知ったんだけど。」
彼女は頬杖をついてスマホで何やら夢についての記事を読んでいるようだった。
一応彼女は図書委員だ…。
「いいじゃない、別に本読んでなくてスマホで調べごとしてても。」
「えっ」
「なに『ばれたか!』みたいな顔してるのよ。」
彼女は少し眉間に皺を寄せていた。
肩に届くかどうかの黒髪にキリッとした目元のクールな顔つきで、黙っていれば「怒ってる…?」と思われてしまうような雰囲気の人だ。
見た目だけでいうなら「図書委員」ではなく、キビキビした「風紀委員」がぴったりだ。
だが、真の姿はどちらかというとマイペースな人で、今日のように司書の先生がいなければ、いつもスマホいじりに興じている。
つまり風紀委員にも向いてないかもしれない。
そんな彼女のムッとした表情にひるんだ僕を見て、彼女はふっと笑いながら
「で、どっちなの?カラーの夢?モノクロの夢?」
と柔らかめに尋ねてきた。
「考えたこともなかったですけど…絶対カラーの夢ですね。モノクロの夢を見る人がいるってことを、僕も今初めて知りました。」
ふーん、と気のない返事を賜った。つまらない回答だっただろうか。少し挽回を試みるために、
「でも、モノクロの夢を見る人は少ないんじゃないですか?モノクロだとすぐ夢だと気づきそうだし。」
と発言してみた。
彼女は確かに、と呟きつつ
「この記事によると、世の中の8割くらいの人はカラーの夢を見ていて、モノクロの夢を見る人は少ないらしいの。しかも割と上の年代の人だってさ。確かにモノクロは少数派みたいね。」
と、書いてある記事のデータをスワイプしながら教えてくれた。
上の世代…か。両親や祖父母はどうだろうか。ひょっとするとモノクロテレビとか白黒写真とかに、何か関係があるのかもしれない。
「でもさ、そもそも君の見てる色は私の見てる色と一緒なのかしら?ひょっとしたら…君の見てるカラーが私にはモノクロで映ってるのかもしれなくて…?私の色っていうのが…えーっと、その…言いたいことわかる?」
「なんとなくわかりますよ。」
尻すぼみで自信のなさげな先輩の言葉にそれだけ答えた。
「そ、そっか…。」
再びスマホの画面を見つめ始めた彼女に僕は
「確かに…見ている色が違う可能性ってありますよね。人によっては見えにくい色があったりするくらいですし。聞いた話だと、女性は男性よりも見えている色の種類が多いらしいですよ?」
と続けてみた。
すると彼女はガバッという擬音が聞こえてくるくらいのスピードで顔を上げ、僕を見た。
「それ本当!?」
「ほ、本当らしいですよ?例えば男の人が、『これは青』って言う色があったとして、それを見た女の人は『これは〇〇がかった青』って答えられるらしいです。」
「へぇ!それも初めて知った!」
彼女は知識欲が高い方で、こう言った豆知識を披露するとかなり反応がいい。今日もかなり嬉しそうに見える。
『キラキラした笑顔』とはまさに今の彼女にぴったりの表情だ。
先程の「ふーん」からかなり格上げされたリアクションに、僕も内心は軽いガッツポーズを決めていた。そして次回も豆知識を仕入れておくことを固く決意した。
欲を書いた僕はさらに加点を狙おうと、
「だから多分ですけど、綺麗な色とか景色とか、全く同じには共有出来てないんですよ。例えば綺麗な夕焼けを見たとして、僕と先輩とでは違うように見えてるんだと思いますよ。」
と続けてみた。
僕のこの言葉を受けて今度は腕組みをした彼女。目を瞑り天井を見上げながら、うーんと何か考えているようだ。10秒ほどの思考の後、ゆっくりと語り始めた。
「でも…まぁ、確かに全く同じ景色は共有できてないかもしれないけど…、うーん…だけど、なんていうかそれを見た感動?そういう心の動き?綺麗!とか切ない…みたいな気持ちを一緒になって思ってたなら、別に違う色でもいいんじゃないかしら?気持ちは共有できているんだから。」
なるほど。
「…先輩って、たまにいいこと言いますよね。」
「でしょ!たまにはいらないけどね!?」
カウンターの中で得意げな顔をしていた。
彼女の感性は、今みたいにふとした時に僕に考えるきっかけを与えてくれる。
最初は些細なきっかけで話しかけられただけの間柄で、こうして話すようになったのもつい最近のことではあるが、僕は彼女に尊敬にも似た感情を覚えている。
「でも、本当にそうですね。確かに目に見えるものが実は違っていたとしても、それを見て得る感情が共有できるってなんだか素敵ですね。」
「よくも私が言ったことを、手短にまとめてくれたね?私が頭悪そうに見えるからやめてくれるかな?」
と、ジト目で見られた。
決してそういうことをするつもりはなかったのだが、以後気をつけよう。
僕は誤魔化そうと
「いやーでもその理論でいくと、確かにこの真夏の青空の色は違って見えているかもですけど、この涼しい図書室で過ごす気分の良さは僕と先輩で共有出来てるはずですよね!」
と言ってみた。もちろん冗談ぽく。
「…なんかそれ違わない…?感動とかそういうのじゃないし…。なんかナンパっぽいし…。」
「すいません…。え…てか、めっちゃ言うじゃないですか…。あんなノリで言ったのに??」
結構振り絞った勇気は、逆効果だったようだ…。
そして会話はそこで静かに途切れる。
彼女はまたスマホに目を落とし、画面をスワイプしていた。
僕も先程まで読んでいた小説に目を落とす。
段々と外の学生達の声も静かになり、蝉の合唱も遠のいてゆき、僕は再び小説の世界にひきこまれて行く……はずだった。
いまいち集中できない。何だか先の会話で、何かを忘れているような、ムズムズとした引っかかりを感じたからだ。
こうなってくると小説の内容が全く頭に入ってこない。文字は読んでいるのだが、情景が全く頭の中で描かれていかない。
シュワシュワと鳴く、クマゼミの鳴き声が響いて聞こえてきた。
この図書室は校舎から離れた別館に存在しており、あたりは木々に囲まれている分そういった夏の声がより際立つ。
逆にその遠さから生徒には人気がなく、いつもほとんど人がいない。
集中もできないので辺りを見渡し、その延長で何の気なしに彼女を眺める。
黙っている時の彼女の表情はさながら新書を読んでいる雰囲気なのだが、基本的にウェブ漫画かさっきのようなコラムだ。
なぜこの人は委員会に所属することが強制ではないうちの学校で、図書委員になったのだろう。今度聞いてみようか。
そんな風に考えながらぼーっと彼女をみていた。すると、僕の視線に気づいた彼女と目が合う。
「なに?」
「あ、いや。」
焦ってしまっては格好が悪い。なにかうまいことを言おうと、頭をフル回転させる内に、どうにか先程忘れていた気がしたムズムズが何かを思い出した。
「先輩は結局、カラーで見るんですか?モノクロで見るんですか?」
一瞬キョトンとされた。おそらくもう今は違う記事かなにかを読んでいたのだろう。
「ああ、夢の話ね?どうだろう?よくわかんないや。」
「わかんないってことはないでしょう。」
少し呆れ顔をしてしまった僕だが、反対に彼女の表情は冗談をいうようなそれではなく、至って真剣だった。
彼女は、だって…と一言置いて
「さっきの話の続きで行くと、私が見てるカラーは君のモノクロかもしれなくて、私の見てるモノクロが君のカラーかもしれないじゃない?だから、どうなんだろうねって。」
なるほど、そういうことか。
だが僕は、彼女なりのカラーかモノクロかを答えてもらえたら満足だったわけでー
「何よ、そんなに不満そうな顔しなくてもいいじゃない。」
鋭い。
「先輩なりの、でいいんですよこういうのは。」
と思った通りを言うことにした。
少し笑って、まあね。と手短に答えられた。
そして続けざまに
「私の夢はモノクロ。」
そう言われた。
割と驚いた。さっきの話を聞くに、普通に考えると僕ら世代は当然カラーで夢を見ていると思ったからだ。そんな僕の表情を見て彼女は
「ふふふ、ひょっとしたらカラーかもしれないけどね?でも、モノクロってことにしよう?なぜなら少数派の方がかっこいいから!特殊能力っぽくて!それに誰も私の見ている色は証明できないし!」
まるで悪ガキのように、文字にするとニシシと言った感じで彼女は笑っていた。
まったく、なんて理由だ。
確かに、僕には先輩の見ている色を、確かめたくても確かめることが出来ない。
確かめる術があったところで、それが僕と同じように彼女に見えているとも限らないわけで。
だけれど彼女が言うのだから、きっとそうなのだろう。
「それってかっこいいですか?」
「大勢いるよりは格好いいよ!」
またニシシと笑う彼女につられて、僕も笑った。
そうだ、彼女はモノクロの夢をみるんだ。