第弐話
「よ…よし。後は、ぽんと逝くだけだ。」
天気の良い昼下がり。
風も穏やか。
ビルの屋上。
フェンスを乗り越えて際に立っている。
靴も脱いだ。
下を見る…。
人が小さい…。
「飛び込みの要領だわな…。」
『やったことねーけど。』
独り突っ込む。
深呼吸…。
空を見上げ、呼吸を整える…そうしていると、なぜか後ろが気になった。
振り返ると、爺さんがこっちを見てるじゃねーか！
「おい！爺ぃっ！見せもんじゃねーんだよ！」
そう言って、あっちに行けと合図を送る。
爺さんは、場所と向きを少し変えて、杖の柄に両手を乗せ佇む。
俺はもう一度、前を向く。
景色の綺麗な前を。
目を閉じる。
う、後ろが気になる…。
振り返ると、
「うわ！？」
爺さんがフェンス越しに目の前に来ていた！
俺は驚いて態勢を崩す！
「お！？わ！？わっ！！」
指一本、ぎりぎりフェンスに引っかけて命を取り留めた…。
「て！？てめーっ！爺ぃっ！死ぬとこだったじゃねーか！！」
俺は両手でフェンスを握り締め、爺さんに抗議した。
「はて？お前さん、死ぬんじゃなかったのか？」
『む…。』
「お…おーよ。だから邪魔すんじゃねぇ！」
「邪魔なんぞせん。ほれ、早よ逝け。」
爺さんは微笑む。
『！？このクソ爺ぃっ！』
「おい！爺さんよ！普通、今から死のうって人間がいたら、助けるもんなんじゃないのかい！？」
「さぁ、そういうことはわからんのぉ。」
「！？おい！爺さん！そこ動くな！」
と言って、俺はフェンスをまたよじ登った。
「いいか、爺さん！今、死のうとしてる人間がいたら助けるってのが人情ってもんだ！いい年こいてそんなこともわかんねーのか！」
俺はこの老いぼれに説教をくれてやった。
「お前さん。今、人情って言ったの？」
「おうよ。」
「ではお前さん、そっから飛んで、下のもんにぶつかってしもうたらどうするんじゃ？」
「そ…それは、おめー、人情じゃなくて…マ、マナーの問題だ…。」
「んじゃ、お前さんが死んでしもうた後、それを見てしまうもんに対して、
そんなもん見せたらいかんというのは、人情とは言わんのかい？」
「…そ、そんな屁理屈はどうでもいいんだ！」
「んで結局、死ぬんか？死なんのか？」
「爺さんとの話が片付くまで中断だ！」
「そうか。」
と言って、爺さんはまた佇む。
「…。」
「…。」
「なー、爺さん。」
「なんじゃ？」
「人生ってなんだ？」
俺はやや下を向き、こめかみを指で掻きながら聞いた。
すると爺さんは、「わからんのぉ。」と、穏やかに答える。
「…。」
俺は言っても無駄だと思いつつ、
「俺は人生転がり堕ちちまった。借金まみれ。返せる当てもねぇ。
そうとなりゃ、腹括って死ぬしかねぇと思わねーか？」
「儂にはわからん。じゃが、「しかない」と、お前さんは生きる【今】を拒否しとるように聞こえるぞい。」
「拒否するしか、もう、ねぇんだよ…。」
「それは、生きるということ、そのものの拒否かの？」
『ん？』
爺さんの話に少しだけ興味が沸く。
「お前さん、借金がどうのだから死ぬと言うとったじゃろ？借金がなかったらどうなんじゃ？」
「そら、生きてたい。」
「ならそうすればええ。」
「んじゃ、借金どうすんだよ！？爺さん肩代わりしてくれんのか！？」
「んなこと、出来やせん。」
「話になんねぇじゃねーか！？」
「借金というのが、お前さんを苦しめとるんじゃったら、借金から離れたらええ。」
「…逃げろってことか？そんなことしたって、どうせ見つかって殺られる。」
「じゃが、それは【今】ではないじゃろ？」
俺はこの瞬間、『あ…。』と思った。
だが、
「そんな逃げ回ったって、生きた心地なんてしねぇ！」
「心地はせんでも生きとる。」
「ビクビク怯えて暮らせってのか？」
「見つかるまで堂々と生きればよかろ。」
「そんなことしたら直ぐに見つかっちまうだろ！」
「じゃが、【今】ではないじゃろ？」
「見つかって、痛めつけられて殺られる…情けねぇ死に方だな！」
「お前さんの【さっき】の死に方のほうが、情けなくない【選択】ということかな？」
俺は【さっき】までいた場所を見る。
『【さっき】死んでたはずなのに…【今】が続いてる…か。』
「爺さん、面白いこと言うな！」と言って振り向くと、爺さんの姿はなかった。
「…爺さん？」
俺は辺りを確認したが、いない…。
しかも、さっきまでの屋上の雰囲気と、どこか違うような気がする。
そんな不思議な感覚に戸惑っていたが、「変わった爺さんだ！」と、ひとり笑って、
俺は靴を履いた―――。
