94.歌の力
急ぎとはいっても、古老たちへの呼びかけなどで準備に3日ほどかかった。
古老たちといっても40代後半から50代だ。
古老というには若い気もするが、寿命の短いこの時代では十分に年寄扱いされる。もちろん体力的にはまだまだ十分で狩猟にも採集にも出かけられる。
転生前の俺と同じ世代たちだ。
だから古老というほど凝り固まった人たちではないと思うのだが、現世の経験でも一筋縄でいかないのがこの年代だ。
さらに姿が15歳だけにやりにくい。
先発隊は俺、アシリクル、タタル、シカルンテとの4人。
後発隊は古老たちで4日遅れでヌプカウシという萱の多く茂った山の麓で落ち合うことにする。シカルンテの記憶する詳細な風景などから俺はおおよその場所がわかった。たぶん、相手の考え方にもよるが会うことは難しくはないと思う。
4人でヌプカウシの山を越える。
美しい湖が見えてきた。
現世では然別湖といわれているが、トカプチの人々はこの山より向こうに立ち入らない。キムン(山中)であり外界と違う世界だと思っている。そこにコロポックルが隠れ住んでいるのだろう。
湖の周りの深い森を歩く。
「オホシリ様、あなたもコロポックルなのですか?なぜ、知らない土地なのに、知っているかのように歩けるのですか?」
シカルンテが聞いてきた。
「コロポックルではないですよ。でも、ここのことは良く知っていますよ。とても美しい輝くような青い魚が捕れますよね。」
「そんなことまで知ってるなんて。それはコロポックルの大事な秘密なのです。」
しばらく行くと美しい川のほとりに出た。
ヤンベツ川だな。
ほんの少し上流に行くと周りに人の気配がする。
アシリ・クルとタタルは槍を構えようとしたが、俺はそれを静止した。
事前にシカルンテに次のような内容で歌を作ってもらっていた。
俺は歌詞も作曲もまったくできないので詳細はシカルンテに任せて歌ってもらう。
「私たちは歴史が繰り返すことを知っている。
歴史の中の災いは春の雪解けのように消えていく。
なのに、人の心は固く冷たく凍ったまま。
私と私を選んだ勇者は、その冷たい心に凍らされそう。
どうか、人の心の氷を解かすために手伝ってほしい。
私が皆の氷を解かすために
コロポックルの力を授けて欲しい。」
そんな内容で、シカルンテに適当に歌詞を作ってもらい歌ってもらったのだ。
美しい歌声が返ってきた。
それは普通に聞くとただただ美しい悲哀にみちた歌声に聞こえるけど、俺の翻訳機能を通して聞くと膨大な情報量があった。
内容はコロポックルがここに移り住んできた人たちを温かく迎えたのにも関わらず、自分勝手なふるまいをし始めた人々、その所業などが詳細に伝えられていく。そして、やがて印しとなる大地の揺れが起きて、膨大な過去の知識の蓄積から、大きな災いがやってくることを知る。その災いをコロポックルが一身に引き受けて、彼らに畏れと後悔を知らしめ、完全に別れて暮らすことを決意するまでの情報だった。
油断するとその時の映像まで頭の中にねじ込まれそうなくらいの圧倒的な情報量だった。
アシリクルやタタルは涙を流して聞いているが。後で聞いたら、やはりアシリクルやタタルには普通の悲し気な歌にしか聞こえなかったという。でも、聞いていると涙が止まらなかったという。
不思議な歌の力を感じた。
シカルンテが再び歌う。
それでも、愛した人とともに居たい。愛した人の周りの人が傷つかないように自分も力が欲しいと。
俺は、次の歌の内容については指示はしていなかった。
向こうから歌で返ってくる内容については、シカルンテが今まで聞かされてきた歌と同じだろうことは予想がついていた。だから、それに対する自分の返歌は自分で考えるように言っておいたのだ。
コロポックルが昔体験した悲しい出来事を、まるで自分が体験したかのように伝えて、自分たちの子孫が他の人との接触をしないようにしてきたのだろう。
でも、これだけの圧倒的な情報量に晒されてもシカルンテは自分の思いを貫き通す詩を歌い切った。これは情報量自体は多くはないが、逆に本人の気持ちがダイレクトに伝わる力を持っていた。
ふと気が付くと河畔林の下の大きなフキの下に人の姿が見える。一人二人ではない、大勢の人がこちらを見ている。やがて、正面の川の浅い流れの中に美しい女性が立っていることに気が付いた。




