罠
1週間もかからず、集落の裏手、森側に木柵で大きな囲いができた。
森側のほうを入り口にΩ型になっていて、入り口まで木柵に囲まれた通路で一気に走って到達できるようにした。木柵はその通路から外側を向いて斜めに打ち込んであり、ちょうど熊の頭の高さに木柵の尖った先端がくるようにしてある。通路の先端、罠の入り口付近の木柵の1,2本は抜けやすいようにしてある。
ウェン・カム(悪い神=悪い熊)と対決するための大きな罠だ。
長槍隊は左右から走って、その入り口付近の木柵を抜いて入り口に並んで槍を構えて熊が外に出ないようにする。
長槍隊に引き続き弓隊が一斉に周りから矢を射かける計画だ。
槍も弓も毒を仕込めるよう、何人かは毒壺を持たせていかせる。
直前で毒を石鏃や槍につけて使うのだ。
毒は重いので少量だが、こちらに着いてすぐ狩猟で使うかもしれないと持ってきたものがある。
近くの草原でアシリ・ウパシに雌の鹿を仕留めてもらう。
女性が着て着古した衣服などをもらい、罠の中央にシカ肉を置いてその上に被せた。
かがり火はいつも通りだが、罠の前だけは少し暗めにした。
夜明けの1時間ぐらい前ぐらいだろうか、風向きが海側から山へと吹く風、ヤマセになり薄い靄が覆い始めたころ、暗い森の中からウェン・カム(悪い神=悪い熊)が現れた。
思っていた以上にでかい。
300キロはゆうに超えている。
木柵の先端の高さがギリギリだ。
ウェン・カムは最初罠の入り口を不審そうにうろうろしていたが、やがて大きな鼻息をしたかと思うと、悠然と罠の中に入ってきた。
餌の鹿肉の近くまでくると、再び鼻息を荒げた。
その時一斉に槍隊とその後に続いて弓隊が飛び出した。
と同時に罠入り口に干し草を集めておいてが、それにも火をつけた。
槍隊は火を前にして槍を構えて罠を完全に塞いだ。
ギリギリ昨晩になって考えた策だ。
それと同時に弓隊がウェン・カムめがけて矢を放った。
矢のほとんどは奥まで刺さっている気配はない。
ほとんどが厚い毛皮を撫でるように滑って地面に落ちている。何本かは刺さっているようだが熊は痛がるとか気にした様子はない。
矢の数が多いのをだんだん苛立たしく思ってきているのか、ますます鼻息を荒げていたが、突如、後ろ向いて罠の入り口に突進していった。
罠の入り口は火の壁になっていて、その後ろは槍隊が槍を構えている。
ところが、ウェン・カムは全くそのことを気にしていないかのように、突進していった。
火も蹴散らし、槍も人もまったくそこに無いかのように、突進し森に走り去った。
槍は一本だけ刺さったというが、槍の柄は途中からぽっきりと折られていた。
もし、アイヌの文化がこの時代である程度できあがっていれば、ウェン・カムイ悪い熊への対処もわかっているはずだ。
特にこの時代の弓矢は貫通力がない。なので、今は軽い毒矢で獲物を仕留めている。小動物なら簡単だし、後に食べることを考えてあまり強力な毒を使うことはなかった。ツキノワグマ程度の大きさなら、たくさんの毒矢を射込めばあるいは倒せるかもしれない。
ただ、ヒグマとなると厚い毛皮と巨体。かなり強力な毒矢を確実に体内にねじ込まないと倒すことはできないのかもしれない。
アイヌならウェンカムイを仕留めるだけの猛毒の矢毒を用意できるはずだが、古老たちに聞いてもそれだけ強力な毒矢の情報はなかった。首長のカンナアリキなら何か知っているかもしれないという。
今回の失敗は矢の貫通力と毒の弱さが原因と思う。
せめて、どちらかの威力だけでも強ければ。
毒が古くなっていた?それとも、抽出に問題があったのか?
こちらにきてすぐなので毒の原料のトリカブトをまだ採集に行ってない。しかも、トリカブトの自生地はそのウェン・カムの居るところだという。
毒はあらためてこちらの氏族に協力を求めるしかなさそうだ。




