29.対策
仕留めた熊の処理は全てルェケムクル(皮の針の人)に任せることにした。
今回の旅の彼の功に報いてやりたい思いもあったので、集落共用資産になる熊の胆以外は好きにしてもらおうと思った。一応皆にも相談したが、肉はおいしい季節ではないし、革製品に関してはもともとルェケムクルが専門なので問題ないとのことだ。
カンチュマリと塔に戻った俺は2人の巫女にすぐに集落の主だったものを大堂に集めるように言った。長老以下、職能系の代表と食料採集、加工、管理系の担当者すべて集まった。事実上祭りの参加者から幼子とその子らの面倒見る両親や祖父母のうち1人を除いた人すべてのようだ。意外に女性の参加者が多い。食料系や保存、保管関係の担当は女性が多いようだ。
アシリウパシ(新しい雪)、その娘のアシリ・クル(新しい人)、ルェケムクルの3人と俺とカンチュマリは大堂の中央よりやや前のほうに並ぶ。前に俺が来た時の祭りの時に料理が並んだ辺りだ。祭りの時は俺と人々の間には料理が並んでいて距離感がったが、今回は重要な話し合いなので近くに寄ってもらった。
俺は神々の沸き立つ湖に火の神の怒りの山が出現して、その怒りがいつ爆発してもおかしくないと伝えた。現地で見た山の様子についてはアシリウパシも皆の前で説明した。
俺は続けて噴火で予想されることも伝えた。
まず噴火の直前に大きな地震が来るかもしれない。それが予兆となることもあるし、その予兆もなく噴火する可能性もある。
噴火が起きても直接的な被害はここまでは達しないと思われる。
ただし、風向きによって灰が降ってくる。
神々の白い峰々の一部までは影響があるかもしれない。
山越えのルートはしばらく使わないほうがよい。
山々に降灰の影響で動物、植物が減る可能性がある。
中長期の問題としては、特に東側の集落の人々が難民として押し寄せる可能性。
東側ルートから入る交易品の供給が止まる可能性。
こちらから東側へ交易へ向かうことのリスクと噴火後は交易の交換率の大きな変動の予想。
それらの説明をした後に、狩猟・採集に関してはその担当者たちに、交易に関しては長老たちの意見を聞く。
狩猟・採集に関してはすでに神々の白い峰々のうち現世の大岳にあたる山が火山活動が活発なので、すでにその周辺は狩猟採集の範囲に組み入れていない。ただし、現世の南八甲田の方向の山に関しては途中までキノコ、葡萄蔓の採集、狩猟の範囲になるので、どこまで範囲を狭めることが可能か収量と備蓄量の検討が必要。
最悪、交易用の葡萄籠などは生産休止する可能性もあるとのこと。ただ、交易品としては量が少ないので集落運営の影響は軽微であること。食料に関しては主たるクリ、クルミの類は集落周辺のみで100%生産可能なので、ここで影響のあるような降灰がなければ心配ないこと。
など自給に関しての問題はなさそうだ。念のため、食料備蓄量を増やす方向で、俺が来ることで倉庫から神殿になった、地の宮の夏、春秋、冬の3棟のうち2棟はもとの倉庫に戻すことにした。
交易関係は非常に予測しづらいが、東側ルートの主な交易品は琥珀の輸入。これの交換品として東には津軽半島経由で入る北海道の黒曜石、秋田方面から入るアスファルトが運ばれるが、西側の交易と比べると取扱量は少ないので心配ないという。
ただ、やはり問題になるのは火山噴火後の難民の流入だろう。
東側の難民は山越えをせずにそのまま北に向かう可能性が多いという者。どちらかというと交易系が多く暮らし、一見豊かに見える日本海側、つまりこちら側に流入してくると予想する者。なかなか難しい問題だ。
「アヂ・ノ・チプ(黒曜石の船)北方系の交易担当に聞くが、半島の航行拠点の集落の食糧生産余力とモシリ側の同族の生産余力はここと比べてどのくらいだ。」
念のため移住についても考えておく。
「我々の持つ半島の集落はもともと渡航のための拠点で永住するための機能は少ないです。ただ全く無理というわけではありません。実際、人は常駐していますので。ただクリやクルミも多くはありません。年月をかければ広さは十分ありますし、ここと同等の食糧生産は可能になるでしょう。山々の恵みも十分なものがあります。」
「半島は他の氏族はいないのか?」
半島で狩猟・採集場を広げることができるかどうかも重要だ。
「西側は別の氏族になりますが、山を越えない限り問題ありませんし、あちら側も半島の先ほど我々と同じように渡航拠点としての集落なので、競合することはないと思われます。」
「モシリ側は?」
「あちらは現在は問題ありませんが、同じく火の神の山が近くにありまして、不穏な動きが伝えられています。すでにその山ではありませんが、さらに北の交易路にかかる大きな山が噴火して黒曜石の動きが途絶えている最中です。」
北海道も火山が多かった。現世では有珠山の噴火が記憶にあるが、もし縄文時代なら有珠山は大人しいはず。ただ、他の山々は十和田湖ほどでないにしろ噴火があっておかしくない。
「では、半島の集落の生産力強化を無理しない範囲で進めてくれ。モシリ側にもこちらに難民が流入した際、どのくらい受け入れ可能か、次の交易の時でいいので聞いておいてくれ」
続いて交易品の品物の確保が必要になるかもしれない。
一時的に、今ある品物の供給が崩れた場合の代替品も考えておかないといけない。
「ウルシ・アチャ(漆の伯父)、コトルシニ(コシアブラ)はわかるか?」
「はい、新芽を食べることができるほか、幹は杓子やヘラなどに加工しますが」
「あれからも質が悪いが漆がとれるはずだ。仕事に影響ない範囲で構わないから試してほしい。本漆の生産量は急には増やせないだろうから、難民が来た場合、新たな生産系に従事してもらうことで、生産物を西側交易を通じて食料に交換することも考えなければいけない。コシアブラの漆に限らず新たなものづくりを試してほしい」
コシアブラは金漆という低品質の漆が取れたが、俺のいた現代ではその技術は失われていた。確か中世の技術で生産の少ない本漆を補完するようなものだったと思う。縄文時代にはまだない技術かもしれないが、これくらいは大丈夫だろう。
「ウルシ・アチャ、琥珀の価値はどのくらいだ?」
「交易時の生産状況にもよりますが、たいへんに価値があるものです。安定している交換品としてはアペルイ・ト(燃える土)アスファルト土器一壺分で錘用の小石程度の大きさです。」
「では、今のうちに琥珀を多めに交換しておいて、噴火後はそれを西側交易に使う。噴火までは余剰生産物は優先的に東側交易に使って琥珀など東側でしか取れない産物に変えておいたほうがよいと思うがどうだろう。」
東側の影響が大きければ大きいほど琥珀の流通は難しくなる。少なくとも南側ルートしか琥珀の流通経路がなくなるからだ。大量に交換しておいても困るものではないだろう。
「噴火は間違いなく起きるが、それが今すぐなのか100年後なのかはわからない。100年以上ということはないと思うが・・・。ただ、皆でいつ噴火が起きても大丈夫なように準備だけはしておいて欲しい」
「それと噴火後にクルマンタの呪術師が訪ねてくるかもしれない。そのときは丁重にお迎えするように。あと難民もだが、基本的には受け入れる方向でいきたいが皆の意見は?」
長老含めて皆は受け入れ賛成のようだ。
人よりも自然が厳しい時代だからか、文字の誕生を諦めてでも人同士の諍いを避けて、寄り添いあう社会を築こうとしているのだろうか。難民の受け入れに反対する者は全くいなかった。




