25.数と暦について
カント・ヨミ・クル(天を読む人)にストーンサークルのある集落を案内してもらうが、俺の知っている場所と少しずれているような気もする。それに俺の知っている大湯環状列石より明らかに小さいし、石も確か遠くから運んだはずで青みがかったものを選んでいたはずだが、けっこう色もばらばらだ。やはり時代が違うのか?それとも異世界なのか・・・?
ここのストーンサークルは墓も兼ねているが、その墓石に家族や氏族の繋がりを示す石が付随して、ほかに人の埋まっていない2つ3つほど方角を示す石の集まりがある。このストーンサークルをもとに、呪術師の自然暦の発表に合わせて、ここの家族は、どの方向の山に入って狩猟・採集をするか集落の長老たちの合議で決まる。その時に方角の石が指標になる。ここ最近、トワリ方面の山は降灰で入ることができず、川も灰で濁ってしまい、狩猟場が減少してその割り振りが大変らしい。
俺がいた現世ではいろいろな仮説があったが、こうして説明を聞きながら眺めると説得力がある。ちなみに、周りには家々が建っているが、それとは別に長老たちがストーンサークルを見ながら各家族に狩猟場を言い渡すための台が設けられている。高さ3メートル前後の簡易な台で、集落中心のストーンサークルを眺められるようになっている。まぁそこまでの台が必要な規模には見えない。俺が知っている大湯環状列石は3メートルの高さの台でも足りないくらい大きかったはずだ。
カント・ヨミ・クルはもっと整理したいといっていたが、それが噴火後に作られた、俺の知っている大湯環状列石なのかもしれない。
この日はカント・ヨミ・クルの家に世話になった。大きな竪穴式住居だ。縄文時代にきてはじめて竪穴式住居に泊まる。物見の氏族、塔の集落にも竪穴式住居はあって、中に入ったことはあったが泊まるのははじめてだ。いつも塔に戻って寝ていたから。
カント・ヨミ・クルは独身だ。呪術師は独身でなければならないという決まりはないが、独身でいるほうが信頼が厚いという。家族や氏族の繋がりを持ってしまうと、自然暦発表の後の長老たちの狩猟場発表になんらかの手心が加えられるのではと疑われるのが嫌なのだという。なので、他の集落から娶ることが多いが、こんな場末の集落に嫁に来たがるようなのはいないと嘆いていた。
カント・ヨミ・クルの家の中はけっこう物があふれていた。木片や、小さな粘土板。土器が雑然と置かれていた。
前にカンチュマリに文字のことを聞いたが、文字は諍いのもとになると聞いてそれ以上は話さなかった。カント・ヨミ・クルの家には粘土板に一見何かの模様のようにも見えるが文字らしきものを刻んだものがあった。
目ざとく見つけた俺はカント・ヨミ・クルに聞いてみた。
「これは文字?」
「いや、文字というか、文字は俺は必要だと思っているんだが、みな嫌ってるから・・・。これは数を考えていたんだ。」
酒が入ったせいか、少し口調が変わってきているが、話しやすくなった雰囲気だ。
文字の重要性もそうだが、観測には最低限数字は必要だろう。
「観測には数字が大事だからな」
カント・ヨミ・クル「そうなんだ。一年が365日と知って、それに観測結果をあてはめていって、まとめるためには数字が必要なんだ。ただ、桁上がりについて考えているんだ。」
「10ではだめなのか?」
カント・ヨミ・クル「それだと1年が5日余ってしまう。それと両手がふさがるし10までしか数えられない。もちろん往復で50まで数える方法もあるが、勘違いする人が多い。だから5を1つの単位にしたらどうかと思ったんだ。片手の5本の指で数えられて、両手なら30まで数えられる。手を使って数えられる最大の数字が5の桁上がりで30までいけるんだ。ただ、それを線で表すと実際の指の数と異なるから、桁上がりした5のぶんはひとつの記号にするしかないんだ。」
あぁローマ数字と同じだな。ただ、数字なら線の数や丸の数で表してきたそうだが、桁上がりのことを考えると、事実上それは文字と同じ扱いなる。まして365を5の桁上がりで1つの記号であらわすと長くなってしまう。ローマ数字のようにいくつかの桁上がりのときに別の記号を割り振らないと長くなってしまう問題がある。それをカント・ヨミ・クルは悩んでいるのだろう。
カント・ヨミ・クル「しかも月の満ち欠けもおよそ30日なので指で数えられる上限ぴったり。君ら交易系が約束するときは月の満ち欠けで日を指定するときがあるからそれも暦に合わせられたらいいと思うけど。考えるともうごちゃごちゃになって・・・。」
彼は5曜の太陰太陽暦を作ろうとしているのだろうか。確かに縄文時代の生活を考えると5曜の太陰太陽暦は理に適っている。暦を作るのもひとつのチートかもしれない。もしここが異世界、パラレルワールドだったとわかったら彼の仕事を手伝って暦を作るのもいいかもしれない。




