175.父娘再会
出雲までの道中は懸念していたようなことはなかった。少なくとも検問的なことはあるだろうと予想していたが、ヤマト系の兵士だけでなく商人すら出会うことはなかった。以前はアシワラナカツクニという連合があり、国譲りの前ではヤマト系の勢力による検問があったが国譲り直後からその検問もなくなってはいた。とはいっても不穏な情報の流れるこの時勢であまりに静かな道中だった。
遠くからでも目立つ巨大神殿はできたばかりの白木のころとは違って、多少グレー色に落ち着いた雰囲気になったとはいえ、相変わらずの威容を保っていた。
集落の入り口に来ると、以前にも会ったことがある初老の男性が応対してくれて、そのまま大国主神さまのところまで取り次いでくれた。巨大神殿の周囲にはいくつか大きな建物が並んでいたが、以前の国譲りの時と違って人の出入りは少なく閑散としていた。
案内されたのは、巨大神殿わきの小さな高床式の建物だった。
「大国主神さま、深緑の王国オホシリさまがいらっしゃいました」
男性が中に声をかけると大国主神さまが飛び出してきた。
「そろそろいらっしゃるころと思っていました。」
「こうも頻繁にこちらを訪れることになるとは思っていませんでしたが、此度は妻と息子もつれて西国を回ろうかと思いこちらに立ち寄りました。」
「・・・」
妻のヤエは何か話したそうだが言い出せないでいる。息子も同様だ。
「あっ、気が付かず申し訳ない」大国主神様はそういって、取り次いでくれた男に仕事に戻るよう告げ人払いをしてくれた。
「お父様、たいへんご無沙汰しております。」ヤエはそういって涙を流した。
妻はこの国にいたころはヤエノコトシロという大国主神さまの息子、男子として生活してた。女子であることは集落内では父親しか知らないことである。そして、俺のところに来たことは集落内では僅かの人しか知らない秘密となっていた。
「お前も元気そうでなによりだ。また会うことができるとは。」
大国主神様は嬉しそうにヤエの手を取って話した。
「おじい様お会いできてとてもうれしく思います。」
息子も目を輝かせながら挨拶をした。
「こんな立派な孫ができるとは。何事があってもやはり生き延びるということに勝るものはないな・・・。」
確かにそうだろう。実質的な支配権はそのままでも、表面上はヤマト連合国家にとりこまれた形だ。徹底抗戦でヤマトと敵対したとしても、そうたやすくはアシワラナカツクニが負けるということはなかっただろう。それでも、戦争になれば何が起きるかわからない。特にこの時代の戦争は、戦争そのものの歴史が浅く、一般兵士は命を懸けてまで戦うことは少なかった。かわりに長老格や首長など上に立つものは命がけで戦う必要があった。そんな中、戦わず国を譲るということは、一部の人からは弱腰と思われ、集落内での威厳が失われる可能性もあったのだ。
「そうだ、さっそく孫に神殿を見せてやろう。」
大国主神様はそういうと息子のイキの手をとると神殿に向かって歩き始めた。
俺とヤエも後ろからついていく。
「オホシリ殿のおかげで、国を譲っても威厳を失うことはなかったが・・・」
やはり何かあったのだろうか。
俺は何度かここからの眺めを楽しんだことはあるが、息子のイキももちろんヤエも神殿からの眺めははじめてだった。大国主神さまはイキにあちこち指さしながらこの地のことを教えている。
神殿には二人の巫女が一緒に上がったが、どちらも口をきけないという。
なので何を喋っても外部に洩れる心配はないという。
一通り神殿からの眺めを楽しんでから、中で俺と大国主神様は向き合って話しはじめた。
「ヤエ殿、イキ殿とも話をしたほうが良いかと思うが・・・」
大国主神様はそいうと愛おしそうに娘であるヤエ、孫のイキに目線を向けた。
俺は二人を呼んで話に加わるように言った。
「何か深刻なことでも起きたのですか」
「交易が止まっている」
「えっ!?それは、どの品目ですか?鉄や銅ですか?」
俺は慌てて聞いた。
「すべての物品の取引量が半分以下になっている。」
ヤマトの技術革新を甘く見ていた。米だけなら、灌漑事業や栽培そのものに専業化されることで、米以外の物品の需要は増すはずだから、取引量はむしろ増えると見込んでいたが、この頃流入してきた技術は水稲栽培だけではないのだ。
「ヒスイの需要も一般人からはほとんどない。首長や長老、呪術師などが権威を示すために持つぐらいになってしまった。布も一部集落で麻が大量栽培されているらしく毛皮の需要も減ってきている。石器は今はまったく取引されていないし、アスファルトも漆も需要が減った。」
道理で途中のでも交易人自体が少なかった。もしかしたら風向きで海路を使っている交易人が多いのか?と思っていたが、そうではなくて交易自体が減ってきていることらしい。もう一つは格差の発生だろう。貨幣は無いから一概に収入格差とは言えないものの、富の再分配が縄文時代のように平等にはならなくなってきたのだろう。縄文時代は家族、一族、集落というグループでの共同作業をいくつも組み合わせることで様々な産業を維持してきた。個人が何かに専業で充ることはほとんどなかった。呪術師や航海に関係する交易人ぐらいしか専門職はなかったが、その専門職ですら集落共同の一斉作業には同じように従事していた。ヤマト系国家が増え始めてから、集落ごとの特定の産業の専業化が一気に進んだ。アアマテラスこと天野は集落を徹底管理して米栽培に特化した集落、麻栽培に特化した集落、青銅器製造に特化した集落などというようにして、ヤマト連合内で需給が完結するようになってきたのだろう。とうぜん、製造、在庫の管理のための長が必要であり、需給のバランスを取り、集落が不利益を講じないように権力をもった者が必要になってくる。たとえば麻の栽培に特化しても、その分生活に必要な米やその他の物資と等価以上で交換できないと専業化の意味がないのだ。等価以上で交換する。つまり利益を出すことを前提に集落運営をする必要があり、その利益という部分で権力者と一般人との格差というのが広がってきているのだろう。だから、ヒスイの製品も一般人は持てず、一部権力者だけが権威付けのためにだけ持てるようになったのだろう。
「では、ここに来るまでの集落で活気がなかったのは、物が動かなくなったことが原因でしょうか?」
「いや、それだけではない。ヤマトは人手が欲しいらしく、人ひとりが持って帰られる量の物資と引き換えに集落民を勧誘している。」
確かに物流が止まったぐらいで、この時代の集落はすぐに立ち行かなくなるということはない。あるとすれば人口の流出だろう。
「時期と期間はどうなっています?」
「時期はいつでもいいそうだ。期間は満月を3回。」
なるほど、これは難しい問題だ。
単純に自給自足系集落にとっても交易集落にとっても冬の3か月は比較的手が空く時期だが、一方で食料など心許なくなる季節。この時期の食料のことを考えると秋に出稼ぎにでて米なり穀物を持ち帰ったほうがいいと考える者も出るだろう。しかし、秋は狩猟採集では最も大事な季節、集落共同での作業も数多い。ここで問題になるのはヤマトは個人に対して人を募っているし、あくまで個人が持ち帰られる物資を給与としている点だ。個々にとっては、自分や家族だけが使える冬場の食料を手に入れられることはとても魅力的なことだ。
俺が渋そうな顔をしていると
「やはり大事な季節に集落を出る者が多くてな。ある程度遠い地方の集落はそれほどでもないが、この辺りだと、続けて向こうに行ってしまう者も多いのだ。」
「その者たちはどういったことを?」
「大規模な土木工事や収穫作業らしい。」
「しかし、それでも人ひとりが持ち帰られる米の量ということとなら、さほど益になることではないと思うのですが・・・」
「最初は暇な冬の期間に行くものが多かったのだ。そうなると、食料も安定する春に戻ってくるから持ち帰った物資は交易で必要なものに交換したり、良い生活をしていたのだ。一時的に交易品の取引量も増えたのだが。だんだん味を占める者が増えてきてな。何度も行く者が増えてきて、徐々に集落の生産力が落ちてきたのだ。生産力が落ちるから冬場の食料が心許なくなってな、さらにヤマトへ向かうものが増えてしまったのだ。」
ヤマトは一時的に向こうも暇な冬場の労働力が集中したとしても、おそらく徐々に年間通じて人手を得られるだろうと予想したに違いない。仮にも冬場の労働力が余計ということではないだろう。河川改修を伴う灌漑土木工事は台風や大雨のない冬場のほうがやりやすい部分もある。
「ところで、遠征の話は伝わっているでしょうか?」
「その噂はよく聞くが、具体的なことは何も伝わってこないな。ただタケミナカタの使者というものが突然訪れて、隠していた銅剣を掘り起こして送ってほしいと言い出したり、アマテラス様の使いの者が現れて、隠していた銅剣を渡せば米を援助すると言い出したりで・・・」
天野ならそこら辺のことはわかっているだろう。
「銅剣はどちらにも渡さないほうがいいかと思いますが」
「やはりそうか。どちらにも知らぬ存ぜぬで通したが、以降は何も言ってこぬからな」
「戦争があってもこちらが巻き込まれることはないでしょう。」
「そうか。ならば安心だ。」
「お願いがあるのですが、しばらくヤエとイキをこちらで預かっていただけないでしょうか?」
「お父様はどうされるのですか?」
イキが隣から不安そうにこちらを覗き込む。俺はそんな息子の頭に手を置いて心配ないと軽く撫でると大国主神さまに向き直り続けた。
「私はヤマトへ向かいますが、正直かなり難しい交渉をしなければいけないかと思います。アマテラス相手では問題ないかと思いますが、ヤマトは連合国家。中には敵対心を持つものもいるかと思います。妻と息子をこちらで置いていただけるのなら安心なのですが。」
「あなたのことだから命に危険はないかと思いますし、私たちがむしろ枷になることもあるかとは思いますが、ほんとうにおひとりで大丈夫ですか?あなたと同じ力を持つというアマテラス様でさえ幽閉されたことがあるとお聞きしましたが・・・。」
ヤエが心配そうに聞いてきた。
「その心配はないけど、少し時間がかかるかもしれない。なるべく安否含めて情報を伝えるようにするから安心して待っていて欲しい。」
「イキ。お前も留守中の母上のことを頼むぞ。それから父は少し長く留守になるから、そうだな、トナミ殿のところの娘といい感じではなかったか。父があまり遅くなるようなら、おじい様と母上にお願いするのだぞ。」
イキはトナミのところに立ち寄った際、彼の娘と楽しそうに話をしたり集落を駆け回って遊んでいた。たぶん、お互い好意を持っているのだろう。
「孫の縁結びとなればわしがしっかりととり持ってやらなくてはな。」
大国主神様も乗り気だ。
イキは照れながらもうれしそうな顔をしている。
「そういえば、すっかりお土産をお渡しするのを忘れておりました。トナミ殿のところでとても良い品を手に入れましたので」
そういってヒスイの勾玉をお渡しした。
「これは、見事な色ですな。しかし、これはヤマトのほうが喜ばれるのでは?」
「いえ、ヤマトのほうには少し変わった土産を持っていくつもりなのですが・・・」
そういって、ヒスイ製の玉斗、玉壁を見せた。
「私はまずはヤマトが募っている労働者に成りすまして向かうことにします。これらのアマテラス様やヤマト中枢への土産品については、来年の春にヒタカミ国名義でヤマトへ向かわせてください。私どもの交易人は国に戻しますので、持ってきた毛皮などと交換に使者として人を出していただきたいのです。」
「わかった、ヤエと孫のこと、使者の件はその通りにいたそう。それはそうと、せっかくだから我ら身内だけで夕餉をとろうではないか。」
外はすっかり暗くなっていて、巫女二人が明かりの松明を掲げながら巨大神殿の階段をゆっくりと降りていく。確かに、依然来た時より集落の明かりが少し減ったようにも感じる。再び巨大神殿わきの小さな高床式の建物に入ると、海の幸、山の幸満載の夕餉が準備されていた。