174.翡翠製品
「お久しぶりです。トナミ様。」
集落の中心のやや大きな建物の前に立つ男に声をかけた。
集落の名前はトナミで集落の長も代々同じ名前で呼ばれていた。意味はト(戸)が行く手を遮る山々、ナ(七)七つの、ミ(川)、糸魚川付近の険しい地形が由来のようだ。現世のころの富山県砺波市とは直接の関係なさそうだが、砺波市の近くにも同じ氏族の集落があるようだ。
ここより西では神様風の長ったらしい名前が主流だ。この辺りからうちの深緑の王国までまでの範囲の人名、集落名は短めの倭語や縄文アイヌ語が混在している。交易系集落はほぼ倭語になってきている。
「これはこれはオホシリ様ではないですか。相変わらず若々しく。ご一緒にいるのは奥方様とご子息様ですか。」
「はい、妻は西の生まれなので里帰りと、息子は交易の現場の経験を踏ませようと連れてまいりました。」
「そうですか。しかし、今は激動の時代。今までの慣例や常識の通じないことも増えてきています。むしろ若い方のご意見のほうが重要かもしれませぬぞ。」
やはり、なんらかの動きがあるようだ。
「やはり、ヤマトで何かありましたか。」
「さすが、気が付くのが早いですな。大規模な東征の噂がたっております。先般の国譲りでは事実上、わたくし共の集落も含めて北方までの交易集落はヤマト側についたという認識のようですが、南海(太平洋側)の集落はヤマトとは無関係に米栽培に成功したようで各集落が自主独立を保っているようです。それらをヤマトが平定するとの噂がたっています。」
天野ことアマテラス率いるヤマトはかなり緩い連合国家の様相を呈しているが、技術の流出には厳しいはずだ。先般の九州から畿内への東征時に敵側についていたナガスネヒコから東側集落にコメ栽培の技術が伝えられた可能性がある。もしかしたら、俺が米栽培を定着させる手伝いをしたイセの集落から広がった可能性もある。
ここでいうコメ栽培とは水稲のことだ。コメの栽培自体は比較的早くに全国的に伝わった。陸稲に関しては俺の記憶も若干曖昧だが、塔の集落時代だから今から少なくとも1500年ぐらい前には小規模だが北の大地でも栽培していた。しかし北方の気候では陸稲は栽培可能だが、水稲に関しては生育しなかったので定着しなかった。とくに陸稲は大規模な灌漑設備の必要はなく、多少の手入れは必要なものの狩猟採集と兼業でできるので、縄文文化でも受け入られていった。水稲に関しては大規模な灌漑施設が必要になるのと、栽培管理に専業の人間が必要になるので、縄文集落には向かないものだった。南海(太平洋側)では陸稲にかわり水稲が広まったが、大規模な灌漑設備が必要になるため、水稲栽培が定着したのは大集落だけだった。水稲を得て豊かなった大集落に周辺から人が集まり、さらに大きな集落になっていく。ヤマトの1集落、1国家よりも大きな集落も現れてきたらしい。
「具体的には何かありましたか?」
「急に青銅、鉄器の供給が少なくなりました。おそらく武器を準備するためと、敵側に渡らないようにするためかと。あとヒスイの需要に変化があります。一般人向けのヒスイはここより西側、南側ではまったく取引されません。逆に長老、祭祀用の大型で良質のものや技巧をこらしたものは需要が高まっています。毛皮に関しても若干需要のほうが大きく、よい商いができるかと思いますよ。」
徴用的なことは起きていないらしい。ということは遠征ルートにはなっていなさそうだ。遠征ルート上ならなんらかの徴用で物資調達が行われるはずだから。
ただ、南海(太平洋側)ルートで東征するにしろ、東北まで北上されたらこちらも何らかの対策をたてなければならない。ここは東征出発前に急ぎ天野と話をする必要がありそうだ。やはり先を急ぐ必要がありそうだ。
「今回は交易抜きでの旅なのですが・・・。」
と言いかけたところで、トナミは顔を横に振り
「先ほどご子息を交易の現場の経験を踏ませようと連れてきたと申したではありませんか、確かに交易人をあまりお連れではないようなので別件でいらしたのかとは思ったのですが、此度も何か商品に限らないよい取引をお考えでこちらにいらしたと推察いたしました。」
トナミはアシワラナカツクニの国譲りの際に俺があちこち動いて根回しをしたのを知っている。そして現物の取引以上に様々な利益を自国へ誘導したのも知っている。だから、当然今回も何らかの交渉で西へ向かうのだと思ったに違いない。
「確かに妻の実家に何か良いヒスイの製品と、ヤマトの集落へ行くので贈り物を何かと考えてまして、上質の毛皮を持ってきたのですか。」
俺はヤマトに向かう際の手土産で上質の毛皮を持ってきていた。確かに毛皮だけより途中のヒスイ産地で良い品が手に入れられたら交換して持っていこうとも考えていた。ヒスイに交換することで荷物も減らせるので同行してきた荷物持ちの人数を減らすことができる。
「では、少しお待ちを」
トナミは一度席を外してすぐに木でできたお盆のようなものにヒスイをのせてやってきた。
「こちらはいかがでしょう?」
それは、見事なヒスイの勾玉の首飾り、玉斗、玉壁だった。
勾玉に関してはすでに西向けのヒスイ製品として定着している。ただ、今回のは色がとても良いうえに大きさも申し分ない。問題は玉斗と玉壁だ。
これは前回俺がこの地を通った際にトナミと新しいヒスイのデザインについて酒を酌み交わしながら話をしたものだが、まさか形にしてくるとは思わなかった。
玉斗は酒を入れるための四角い升のようなもので、玉壁は大きさはさまざまだが見せられたのは直径が30センチ前後もある。古い時代のものと違い、動物や植物、幾何学的な文様が細かく彫られている。正直、ここが本当に過去の日本だとしたら、こんなものが将来出土したらまずいんじゃないかと思うほどの出来栄えだった。
「では、こちらの2品を交換させていただきます。」
俺は玉斗、玉壁を指さした。
「毛皮は今回のだけで足りないかと思いますので、次回の交易の際にその分を多めに納める方向でよろしいでしょうか?」
「いや、今回は我々も東征に関して不安を抱えておりますので、これらは我らの思いということで交渉にお使いください。それとこちらの勾玉は奥様の実家への手土産としていかがでしょう?おそらく荷運びの何人かは集落へお戻しになるでしょうから、その分だけの毛皮と交換ということで問題ありませんので。」
俺はトナミの言葉に甘えてヒスイ製品3品を今回持ってきている毛皮の半分と交換した。ここで、荷運びでついてきた5人のうち3人を深緑の王国に返した。