17.調査の日取り
神々の沸き立つ湖こと現代でいうところの十和田湖への調査団は7月の中旬から8月にかけて行うことにした。
もちろん、縄文人たちに月日の概念はないだろうと思っていた。しかし、夏至、冬至、春分、秋分を起点に分ける4期の暦と、若干年によってずれるが、花の咲く時期や収穫物のできる時期、動物の移動の時期を起点とする不定期の自然暦の二つの組み合わせで日取りを決める。
これも、自給自足系集落では重要な事柄なのでストーンサークルに記されていることもあるという。
ちなみに、集落によって4期の暦と自然の動きで知る自然暦の重要度はかなり違う。交易系は相手との交易時期を合わせる都合上、長期間の約束事は4期の暦を基準に、短期は月の満ち欠けから日取りを決める。
自給自足系はそれよりも、いつ花が咲くか?いつ山菜が取れ始めるか?いつ鮭が遡上するか?のほうが重要なので自然暦が中心で、そういった差が出てくるらしい。
そして、ちょうど7月から8月いっぱいは、起点となる夏至は過ぎて次の秋分まで空きがあり、自然暦上は有用な花や動物、収穫物もあまりない季節。同じように何もない季節は冬の1月から2月にあたる。この自然暦でいうところの仮に無期とするが、この期間は追われる仕事も少ない季節ということだ。
夏の無期は、軽く乾物の加工などがあるくらいで、個人や家族単位で山狩りや探索のできる季節でもある。ただ、交易系集落では交易団がこの時期に出かける。
冬の無期は籠編みなどを作る季節。なので、旅、調査、探索など日々の暮らしに直接関係ない事柄もこの無期に行うのが都合がよいらしい。
旅の準備が始まったが、全部まかせっきりも悪い気もするし、いろいろなものづくりも見てみたい。でも、相変らず塔以外に出かけるときは輿が用意される。なので、長老たちを呼んで、自由に出歩けるよう説得した。そしたら、輿が用意される理由を知って申し訳ない気持ちになった。
俺は喪服でこの世界に飛ばされてきたわけだが、ピカピカの革靴を履いていた。それは彼らにとって神々しいばかりできっと汚してはならないものだと思ったらしい。考えてみれば最初に呼ばれたときは地面だった。そのあと一回気を失ったのだが、その最中に俺の靴を見て地面に立たせてはいけないと判断したらしい。それが、輿による移動につながったという。
まぁ集落はたしかに土の道で雨が降れば泥で汚れそうだけど、普段はそんなに汚れることはないと思う。でも、今度の火山調査では登山も必要になる。縄文人の作る靴と、礼服用の革靴、どちらが八甲田山越えに適しているか?難しい問題だ。郷に入らばということで彼らの技術を信じで彼らに作ってもらうか。
ということで、最初に靴を作ってもらうことにした。
長老の1人ウルシ・アチャ(漆の伯父)この集落のものづくり関連の責任者に靴づくりの得意な者を紹介してもらった。ウルシ・アチャ自身は名前の通りウルシの専門家で、俺の靴は動物の皮に漆塗りを施したものだと勘違いしていた。まぁそれでもできるかもしれないけど、漆が乾くのに数か月はかかるので今回は遠慮してもらった。