165.東側の集落
東側は長らく交易上は注目されてこなかった。
唯一、東側で重要な産物は岩手県の久慈の琥珀ぐらいだ。その他の地域は広大な割に若干の獣の毛皮と漆がとれるくらいだ。
もうひとつ、東側が注目されなかった理由は3000年前に俺も体験した十和田湖の噴火の影響が長く続いたことと、地形的な要因だ。
三陸のリアス式海岸、そして風向きから太平洋側の航路はリスクが高い。基本的に西から風が吹くので、太平洋側は風に流されるとどんどん沖に行ってしまう。日本海側はまったくリスクがないわけではないがこの時代の航海術からすると太平洋側と比べるとかなり安全だ。
そして陸路にも問題がある。
東側は岩手県の北上川は北から南へ流れて、青森県に入って馬淵川は南から北に流れる。この時代の街道は大河沿いの交易系集落を結んで整備されている。北上川と馬淵川までは大きな集落も多く街道が整備されて歩きやすいが、以降を北に向かうには、小さな河川をいくつも横切るルートしかないのだ。つまりアップダウンも激しく、河川の増水で往来が途切れやすく、小集落しかないので整備もままならなかったのだ。
ただ、ここ数百年で状況は大きく変わった。
塔の集落もそうだったが、交易が長距離化した影響で、いくつかの日本海側の交易系集落が衰退した。衰退した影響でそこにいた人々が新天地として東側のこの地域に移り住むものが増えたのだ。
東側に多いのは小河川とはいえ、それぞれの集落を分断しているので狩猟・採集の縄張りも安定して、意外に自然が豊かで収穫物の種類が多い。何かが大量に獲れるということはないが、種類が多いということは気候変動にも影響されず、安定した集落運営が可能なのだ。小河川が多いというのも、サケやマスの遡上があって安定した食料調達が可能になる。
この地域は河川と河川の間の山の上に集落がある。川と川に挟まれた地域がそれぞれの集落の縄張りということだ。
5つほど集落と河川を通り過ぎると目的地の現世の頃の青森県新郷村の集落に着く。
ここは、この辺りでは比較的大きな集落だ。
十和田湖の東にそびえるトワリ(十和利)山への信仰はまだ続いているようで、優れた呪術師を何人も輩出して、各地の集落で活躍しているということだ。
ただ、この時代の呪術師の多くは探究心が失われて、より宗教的なものに成り下がっていた。
俺が3000年前最初に出会って意気投合した呪術師のカントヨミクル(天を読む者)のように、自然科学を探究する姿勢がまるでなかった。
信じる者は救われる的な教えで、祭祀もより形式的で見返りばかりを求めるようなものになっていた。当然、自然暦もいいかげんで、はずれることも多くなってきた。それでも、呪術師が威張り散らすのは、呪いをかけるという脅しや、供物、貢物が少ないから自然暦がはずれたという言い訳がまかり通る時代になってきたということだ。
それでも、古いここの集落出身の呪術師は以前のような自然を読み解こうとする探究心に溢れ、知識に貪欲で各地に出かけては、戻ってきて情報交換して、また各地に散っていくを繰り返しているという。
集落の長に挨拶に行く。
「西の深緑の王国のオオキミといいます。こちらに異国の方が来ていると聞き、お話を伺いたく訪ねて参りました。」