164.昔話
十和田湖を望む断崖の上で道は左右二股に分かれていて、奥入瀬を経由して東側に向かう道と、かつて俺が歩いた南の大湯のストーンサークルのある集落へ向かう道がある。今回は東側に向かうので左の道に進む。
しばらくは十和田湖の外輪山の上を歩く。やがて急な下り坂になり、下り切ると湖畔に出た。すぐに湖畔から勢いよく流れ出る奥入瀬渓流の入り口なのだが、現世の頃の深い緑の原生林の中を滔々と流れる風光明媚な渓流ではなかった。
入り口からして巨岩が折り重なるように塞ぎ、水量は多く、激流が岩を激しく洗う雄々しい渓谷だ。
細い道が巨岩を縫うように続いているが、ところどころ大岩をよじ登って越えなければいけない場所も多く、普通なら半日もかからずに抜けられる道程にたっぷりと時間をとられてしまった。
渓谷をやっと抜け、流れは少し穏やかになるが、すぐに神々の白い峰、八甲田山から流れてくる蔦川と合流すると水量は一気に増して激流が渦巻いている。
ここには、小さな集落があったが、川の対岸でもう薄暗くなっていたので、昨晩と同じように簡易なテントを作って夜を明かした。
奥入瀬を下る途中、出雲で作った釣り針をはじめて試してみたが、魚がいないのか一匹も釣れなかった。十和田湖には昔魚が一尾もいなかったが、奥入瀬の途中までは居るはずなのだが。水質はよさそうに見えるがまだ噴火の影響が残っているのだろうか。
けっきょく、食材の現地調達はできなかったので、3人でスルメなどの干物をかじりながら夕食を済ませて眠りについた。
昨晩は2人とあまり話をせずに、俺が考え事をしている間に先に2人とも寝てしまったが、この夜はいろいろな話をした。
実は、俺の現世の頃の話を詳しくしたのは、転生したての最初に結婚した3人の巫女たちだけだった。その後は辺り障りない範囲で転生前の話や、古い時代の話をしたり、未来をおおざっぱな予言風に話したりする程度だった。それもここ1000年はすっかり無くなっていた。
縄文人たちはこの話をすると、俺のことを悲しく辛い定めに捕らわれていると思い、憐れみの目で俺を見る。そうなると俺も悲しくなってくるから、だんだんと話さなくなってきていたのだ。
ヤエは北の縄文人ではないから、俺の話を面白そうに聞いている。息子は母親に育てられているのと同時に集落の長たちにも接しているので、縄文文化と西の文化と両方を知っているせいか真剣に聞いている。
「では、あと2000年生きるのですね。」
ヤエの一言にハッとさせられた。
あと2000年経つと、ここが異世界かパラレルワールドか過去なのかはっきりする。もし異世界やパラレルワールドなら、その後も生き続けるだろう。過去ならば、どうなるのだろう。現世の俺は転生で消えたのか、それとも分化したのか。いずれ、過去ならばその転生した時点に至り、その場所に居合わせたならマイナス5000年の人生がそこで終了するだろう。今の俺が消えるのか、現世の俺が消えたことで、俺がそのまま転生時点からの人生を引き継ぐのか。
「父上、どうかしましたか?」
息子が急に黙り込んだ俺を心配して聞いてきた。
「いや、何でもない。あしたはもっと面白い話をしよう。こないだまで行ってきた西の話だ。そうだ、早いうちにお前はおじい様にも会いに行かなければいけないから、おじい様の正しい話をしてあげよう。」
「父の話ですか、それなら私も息子にしてありますが。」
ヤエが言っているのは娘として、そして母親としての父、真実の大国主神さまの話だ。
「いや、2000年後に母上の父、お前のおじい様がどう伝わっているかの話だ。とても面白いぞ。」
「明日の晩ですね。楽しみにしております。」