161.巨大神殿落成
ヤマトタケルに託したアマテラス宛ての手紙の中身は歴史が詰まり始めているから、慎重な行動が求められるということと、ヤマトタケルが現れたので、こちらとしては念のためめ蝦夷の東征に備えなければいけないから神武東征は最後まで面倒見切れないという内容だ。
こちらとしては、北の我々の文化圏の範囲まで東征する日本書紀ではなくて、関東までを東征範囲とする古事記に従うようにしてほしいとも書いたが、天野はけっこうな武闘派だから念のための警戒は必要だろう。
出雲に向かう途中でヤマト陥落の知らせを聞いた。
タケミカヅチは名前を変えたが、まんまと天野の作戦にひっかかり、ナガスネヒコと名のった。これは、会心の出来栄えと感心したが、その後の展開がどうなるか正直心配だった。
ただ、アメノトリフネ改めカムヤマトイワレビコは同じアマテラスを母に持ち、父は違うが兄弟となるタケミカヅチを思い、タケミカヅチがタカマガハラから大太刀を降ろしてくださり、それにより東征が成しえたと伝えた。
そのタケミカヅチ改めナガスネヒコはニギハヤヒというアメノトリフネが去った後に自分の側近になった者に裏切られて殺されてしまった。
ヤマトタケルも言っていたが、タケミカヅチは自分の子供や孫、ひ孫たちにはすでに見限られていたようだ。
ただ、カムヤマトイワレビコは即位にあたり、タケミカヅチもナガスネヒコもそれぞれに天孫として東征に欠くことのできない人物として伝承することにしたらしい。
さて、出雲の大神殿はほぼ完成していた。
高さは神殿の床の部分で地上50メートル、屋根の千木の先では地上60メートルを超える。
もともと深緑の王国で培ってきた技術に、あたらしい金輪の技術を組み合わせて、人工物としては過去にない高さを実現した。
正直、正面の大階段は恐怖感を覚える高さがあった。常時住みたいとは思えないが、この高さはかなりの優越感に浸れる。
最後に危険だが重要な作業が行われる。
これまで、巨木の運搬に使われたコロの中から数本をきれいに加工し直して、感謝の意味を込めて屋根の上に並べて置く、鰹木のような細工が行われ取り付けられるのだ。地上60メートルの作業になる。この鰹木は実物はかなり大きいし重い。
手に汗を握りながら作業を見守った。
「すばらしい出来ですな。」
大神殿を下から見上げながら大国主神様は俺に語り掛けた。
「はい、思ったより簡単にできましたが、地震にはお気を付けください。常時住まうのには向いていません。少し離れた場所に寝殿を別に設けたほうがよいかと思います。」
「うむ、確かに、これの上り下りだけで一苦労だな。」
大国主神様と一緒に大階段を上る。
「はい、特に雨の時はお気を付けください。足を滑らせると怪我だけでは済まないかもしれません。」
「せっかく完成したのに天孫たちは急に少なくなったな。」
「はい、ヤマトで政変があったようです。アマテラス様が復活されて、タケミカヅチ殿を部下が弑たようです。」
「では、今後どうなるのであろうか。」
せっかく巨大神殿もできたわけだが、葦原中国は今後ヤマトの政権にとってかわられ、国の中心はそちらに移るだろう。ただ、もともと国家としての体裁のない葦原中国だから、出雲の大国主神様のやってきたことが大きく変わることはないだろう。一種の地方の大豪族としての扱いかもしれないが。いずれこれから先に出雲の存在の影はこの巨大神殿の存在をもってしても薄らいでいくだろう。
「大きくは変わりませんが、今後ヤマトの力はいっそう強大になっていくでしょう。だからといって、ここが虐げられるよな心配はないかと思いますが。」
「だと、いいのだが。」
「むしろ、これから北の地が戦乱に巻き込まれる可能性が強くなりました。今後、ヤマトは国権というものが、より強くしっかりと作られていくでしょう。今までのような国譲りではなくて国盗りや戦争、身内では弑逆が日常的に行われるようになるかと思います。大乱の時代がやってきます。」
「では、やはり銅剣を掘り起こして備えねばならぬか。」
大国主神様は今回の国譲りの直前に銅剣を大量に埋めて隠しておいてある。
「いえ、この地はもう大丈夫でしょう。むしろ文化的なことを、ご子孫にやり遂げてもらったほうがいいかと思います。今、ここで起きていることを整理して、子子孫孫に伝えていってはいかがでしょう。」
後々、風土記が編纂されるときに、出雲の伝説や伝承がとても大事になってくる。文字はないが、きちんと整理して次代に伝えていかないといけない。
階段最上部から下界を眺めながら、お互いに今後のことを語り合った。
数日後、落成式が行われた。この時代に落成式という儀式じみたものはないが、招かれた各地の長、この場合は神々といえる人々、天孫側はヤマトで初代の大王の神武天皇の名代がやってきて、大神殿の最上部から、それぞれにとっての信奉する神々と新築の神殿に祝いの言葉とこれからの繁栄を願う言葉を捧げていく。
それぞれの信奉する神々は違う。先祖の神を優先する者もいれば、自然、山や川、海を信奉する者もいる。もちろん天孫側の信奉するものはアマテラスだ。
礼拝のしかたもそれぞれに違う。礼のという概念はまだ伝わっていないが、多くは平伏し地に頭を付けるぐらい低頭する。2回ほどそれを繰り返し、柏手は8割くらいは打つものがいるが、回数はまちまちだ。大きく違うのは、神殿は人間が建てたものだし、神殿に内部にはご神体といえるものはない。ご神体という概念もまだ無いのだ。なので、多くは神殿を背にして、大地であったり天であったりそれぞれの神々に祈りを捧げ、神殿側に向きなおって祝いの言葉を捧げる。
まあ、後の世に、神殿の中に祀られる人たちだから、それ以上の存在への礼拝が基本なのだろう。
最初にやらなくてよかった。
現世のころの神社のお参りの作法は、神殿に向かって行うのが一般的だ。
大国主神様は正面の海に向かって礼拝している。
これは、建設開始直後に大国主神様からの要望で、西側の海に向かって正面になるようにしたいといわれたからだ。
現世の大社と向きが違うことになるが、現世でも大国主神様は西を向いておられると聞いた気がする。
なんでも先祖が西の海からやってきたらしいからだという。
向きなおって、東の海は見えないがその方向にも礼拝する、妻の実家、因幡のある方向だ。
俺も北の大地では数千年にわたって祭祀も行ってきた。ただ、ここに集う彼らの願いと大きく違うことがある。彼らは黄泉を嫌い、永遠性を求めている。すべてが朽ちながらも次へと繋がっていく円環思想の北の縄文文化の祭祀と違うのだ。
つまり、きれいに程よく腐って朽ちていき、再び生命となって復活できるように願うのが俺たちの祭祀だ。新築の神殿にはあまり向いている祭祀ではない気がする。
とりあえず、儀式自体は俺が今までやってきたことを踏襲して、祭祀用のクジラの骨刀で建物を祓い清める。その後、他の神々と同じように祝いの言葉、祝詞を唱える。
招かれたそれぞれが祭祀と祝詞をあげたので最後のほうは夕日が西に沈むころまで続いた。それにしても美しい景色だ。
全員が終わったのは暗くなった頃合いで、大階段の両脇にはかがり火が焚かれた。木造建築なので火の使用は最低限にするよう申し入れてあるが、この日は特別だろう。
かがり火の焚かれた大階段を大勢の神々が降りていく景色も壮麗なものだった。
その夜は、神殿から少し離れた大会堂で宴会だった。
幸いシマの集落からは人が来ていなかったので、俺が生きていることはバレなかったと思う。
いくつかの集落の長たちと交流をもった。今後の関東、東北への東征対策のためにも互いの交流を密にしといたほうがいいだろう。