160.伝説通り
俺は古事記に記されたサルタヒコの伝説通りに海で溺れたことにした。
ヒラフ貝の採集で貝に挟まれて溺れて死んだという不名誉な伝説だが、この地を逃げ出すためと、伝説の誕生のためにこの方法を選んだ。
たぶん、本当にサルタヒコが実在したとしても、天孫たち天津神々からすると、国神の有力者とされるサルタヒコは脅威だったと思う。おそらく、海で溺れたことにしての暗殺というのが普通に考えられるのだが、今となってはそれもなかったということだ。
舟からドボンと落水して、正直最初は苦しかったが、海水が肺に入り込んでしまうと不老不死の俺は水中でも地上と同じように活動することができる。
これは、今まで数千年簡のうち何度か溺れてしまうという経験をしてわかったことだ。しかも、不老不死者は浮かばないので、海底を普通に歩いて移動できる。
さて、そろそろ海から上がってもよさそうだ。早いうちに海から上がらないと衣服を乾かすことができなくなる。かといって、あまり集落に近いと見つかってしまうので、ある程度の距離を稼がないといけない。
一応、交易人から話を聞いて目安の海岸を決めておいた。
岩場の連なる海岸で小さな入り江でそこだけ砂浜があるところだ。
海からがあがるときもとても苦しい。肺に充満している海水を全部出さないと咽て大変苦しいのだ。
砂浜で四つん這いで苦しんでいると、1人の少年が駆け寄って背中をさすって真水も飲ませてくれた。
「ありがとう。海で溺れかけてなんとか岸にたどり着きましたが、おかげで少しよくなりました。」
周りを見るがその少年以外の人影はない。
「わたくしは北のエミシの首領のオオキミと申します。あなた様は?」
「わたしはヤマト(八山戸)のヤマトタケルと申します。」
俺はまた思い切り咽た。
時代が一気にずれ始めている。あきらかにおかしい。
ヤマトタケルは12代景行天皇の息子のはずだ。
今は東征中、つまり初代であるカムヤマトイワレビコ、後の神武天皇がヤマト攻略の真っ最中なのだ。
「ヤマトタケル様は、この地にどういった御用でお一人でいらっしゃるのですか?」
「私の曽祖父のタケミカヅチよりシマの地へ赴き、兵を集め海へ出て征西を行えと命じられました。」
「そうでしたか。しかし、すでにタカマガハラを出た軍勢はヤマトの近くまで迫っていると聞きましたが。」
「はい、一度正面から攻められましたが、おそらく東へ向かい背後から攻めてくるだろうということと、シマの集落を味方につけて最悪、こちらへ逃れる算段で私が先遣で参りました。すでに、曽祖父タケミカヅチ以外の神々はイブキの山に移られています。」
これは歴史を整理するのが厄介になてきた。
ただ、古い国譲りに出てくる神々はタケミカズチを除いてヤマトからすでに離れている。古事記も日本書紀も神武東征の敵側の登場人物は意外に少ない。しかも、神がかり的な内容のものが多い。そこらへんは戦後にカムヤマトイワレビコに適当に取り繕ってもらうことになるだろう。
問題は今目の前にいるヤマトタケルだ。
実は西暦100年前後は皇紀が正しい前提なら景行天皇の御世で、その息子ヤマトタケルがいてもおかしくない時代だ。国譲り、神武東征が遅すぎのタイミングだったのかもしれない。ただ、様々な遺跡の出土状況や上古の天皇の異様な長命から皇紀が必ずも正しいとは限らない。
俺が気にしているのは、ヤマトタケルの東夷東征、征西のどちらも、このタイミングでされるととても都合が悪いということだ。
「ヤマトタケル様、タカマガハラにはアマテラス様がいらっしゃることはご存知ですか?」
「はい、曽祖父からはもっとも警戒しなければならない神々の中の最高神だと教えられました。曽祖父はアマテラス様を憎んでおいでで、いただいた名前すらも変えました。曽祖父からはそのアマテラスを討つよう征西を命じられましたが、祖父や父からはこの戦が早く終わるようにアマテラス様に予言を賜るようにいわれて出てきたのです。」
「タケミカヅチ様はどのようなお名前に変えたのですか?」
「はい、アマテラス様の予言では兄弟の裏切りにあってもミジカスネヒコ(短脛彦)を名乗れば勝てるといわれていたようですが、曽祖父は訝しみナガスネヒコ(長脛彦)を名乗りました。」
さすが天野は、自分を嫌う息子をうまく誘導したな。
さて、ヤマトタケルの今後が問題だ。
「わたくしは全国を旅してまして、アマテラス様とも面識があります。わたくしからアマテラス様へお渡しして欲しいものがありますので、少しお待ちしてもらえませんでしょうか。それにわたくしの名前と、その贈り物を手渡されますと、良いようにして下さると思います。」
そういって、少年を連れて海岸から少し離れた街道沿いを少し行くと交易人の一団が休んでいた。
俺は事前に交易人に頼んで、一部の私物を持ち出してもらって、街道で落ち合うことにしていたのだ。
自分の荷物を受け取ると中を探って小さな竹筒を取り出した。
その中には、天野が作ったこの時代には無いものが入っていた。
和紙である。
俺は和紙を取り出すと、そこに天野宛に手紙を書いた。
そして、竹筒に丸めて仕舞うとヤマトタケルに手渡した。
「これをアマテラス様に見せると、何があったかお分かりになり、あなた様に予言を授けてくれるでしょう。アキ(安芸)よりも西に行ったら、卑弥呼様を探して訪ねて下さい。アマテラス様は名前を卑弥呼と変えて、タカマガハラではなくもう少しこちらに近い集落にいるかもしれません。」
加えてタイラギ貝の足糸で作った手袋も持たせた。
「これもアマテラス様にお会いしたらお渡しして、この通りに済ませましたとオオキミが言ってましたとお伝えください。」
これを渡せば、サルタヒコは伝説通り、タイラギ貝つまりヒラフ貝の採集で貝に手を挟まれて溺れて死んだことを理解するだろう。
「ヤマトタケル様、もし東夷の話が出ましても、私ども北の住民は平和を愛していますので、まずは話し合いで解決されることを望みます。おそらく、アマテラス様からも東夷の話が出てくると思いますが、アズマの方面までと思います。もし、それよりも北に向かうのであれば先に私のところへお越しください。わたしは深緑の王国、イキ(岩城)の王ですので、歓迎いたします。」
たぶん、ヤマトタケルの東夷東征は関東近辺までのはず。
それでも、いきなり攻めてこられても困るので、釘をさしておく。
「オオキミ様ありがとうございます。道中お気をつけて。またお会いするのを楽しみにしています。」
少年と別れて俺は急ぎ出雲を目指す。