159.貝採りにて
事前にアマテラスこと天野と話し合って伊勢、志摩周辺の有力者の調査と並行して、神殿の建設を行うことにしていた。500名の兵士の中には、そのための人員と稲作指導の人員、そして物資輸送の人員がほとんどで軍務が専門の兵士はわずかしかいなかった。その僅かの兵士もすぐにヤマト攻略の増援に向かわせた。
俺も長居するわけにいかないので、調査と並行して技術指導の段取りを指示したら、出雲に寄ってから北に帰るつもりでいる。おそらく大神殿が完成間近のころと思われる。
首長のヒラフは相変わらず俺に色目遣いで迫ってくるがなんとか誘惑に負けないで、日々忙しく過ごすことでやり過ごしていた。
調査の結果、サルタヒコという人物はいないことがわかったので、一時的にサルタヒコを名乗ることにした。
「ヒラフ様、わたくしはアマテラス様から直接、この地に赴く際にはサルタヒコを名乗るよう言われて参りました。ただ、わたくしは北のエミシの首長のひとりなので、あくまでもこの地に留まる間だけサルタヒコを名乗ります。もし、別にサルタヒコを名乗る者が現れたときには、そのものにイセの新集落の長になってもらうようお頼みください。」
「あら、残念。オオキミ様がこのままこの地に留まっていただきたかったのに。」
「わたくしは、出雲のほうの神殿建設の完成も確認しなければいけませんし、あまり国を留守にするわけにもいきませんので。」
「何か、この地では収穫がありましたか?」
「せっかく、海の近くなので海産物の調査も行おうかと思っています。それが済み次第、この地を去る予定でいます。」
「では、こちらから舟と船乗りをお貸ししましょう。」
ヒラフの集落から数人の船乗りがイセの新集落に来たが、明らかに武器の扱いに慣れた兵士で、その他にイスス(五州州)川に掛かる街道に繋がる道にも警備がつくようになった。
俺をこの地に引き留めるためなのかもしれない。
「ヒラフ様のお名前でもあるヒラフ貝はこの地でたくさんとれるのですか?」
「少し深いところにあるので、たくさんは取れませんが、干潮の時にはそこそこの数は取れますよ。」
「わかりました。新しい技術で収量を増やせるか試してみます。」
鉄器を熊手状に加工して、その後ろにも網の目状のバケットを作る。ジョレンといわれているが、これでうまくタイラギ貝が取れるかは不明だ。
タイラギは比較的大型の貝なので、砂の深いところまで掘り下げないととることができない。足糸もできればきれいな状態で採集したい。
なので、浅いところのタイラギを今まで通り手で採集するしかなさそうだ。
それでも、鉄製の小さな移植ベラに似たものを作ってやってみると、今までより楽に採集することができた。
タイラギ貝の足糸は海のシルクともいわれる高級繊維だ。
これを大量に集めて糸に紡いで交易人に託して北に送る。
試作品で小さな布を織って集落の長のヒラフに見せながら、希少だが交易品になりうるものかもしれないと伝えた。採集時に足糸もきちんと取っておいて利用することを勧めた。
彼女はますます俺を手離したくなくなったようだった。
神殿の建設技術は集落民にも伝えたし、稲作の技術要員は十分居て、すでに元々の集落民とで、簡単な水路とまだ面積は少ないが田んぼも整備した。
そろそろ逃げ出す頃合いだろう。
タイラギの試験漁のために舟を出してもらい、大きな鉄製のジョレンを降ろす。
それで、海底の砂地をジョレンの先に着いた櫛状の部分で掘りながら貝を採集するのだが、浅いところのアサリやシジミのようにタイラギは簡単には採集できない。最初はヒラフ首長のところから派遣された猟師にやらせたが、なかなかうまくいかないので、俺がやってみることにした。
彼らに操船をまかせて、力いっぱいジョレンを海底に突き刺しながら舟を動かしてもらう。
少し動いたかと思うと、何かに引っかかった。
その瞬間、ドボンと落水した。
俺はそのまま何も抵抗せずに海底に沈んでいった。