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縄文転生 北の縄文からはじまる歴史奇譚  作者: 雪蓮花
第1章 神々より前 Before Gods 旅路
125/182

125.北の最果て

シカリペツの奥、ヤンペツ(ヤンベツ川)の近くに集落があった。

コロポックルの隠里と思っていたが、本人たちは隠れ住んでいるという意識は今はほとんどない。自然と共生した暮らしなので、あまり樹木を伐採したりしない。木の器を長く大切に使い、土器は煮炊きのみに使い最低限にして、森林を大事にしている。それが隠れ住んでいるように見えるだけだ。


ヤイェユカラ(神の歌)の子孫たちが出迎えてくれた。

やはり神の歌の力で、俺のことはまるで自分が会ったかのように覚えていた。

知らない人が、俺のことをしっかり覚えていてくれるのは何とも不思議な気分だ。

ただ、代を重ねるたびに、その力は失われて、ヤイェユカラが亡くなる数年前には、神謡は中身の大半が失われ形式だけのものになってしまったという。形式だけでもいまでも守り続けてはいるという。

やがて神の歌の全てが中身の膨大な知が失われて、形ばかりのものになるといわれているが、彼らはそれでいいという。

今は各地に散り、その膨大な知を使って呪術師や巫女となるものが多いという。

偏見も薄くなり、逆にその力が憧れとなり、コロポックル以外も、彼らと同じ入れ墨をするようになってきたという。

好物を覚えていてくれたようで、湖の神の魚を振舞ってくれた。


3日ほど世話になりカムイミンタラの道などを教えてもらう。

神謡で道の場所は多少はわかるが、神謡の知識の道は数百年前のものだ。

たぶん、役に立たないので、現在の様子を古老たちに聞いて回った。

アシリクルもそうしたという。

アシリクルのことも覚えていてくれたので、その部分を神の歌で俺に教えてもらった。

元気なアシリクルの姿、声、この集落で彼らに聞いて回った全てが映像を伴って俺の頭に流れ込んできた。


カムイミンタラに向かう。この場合のカムイはヒグマのことを言う。ヒグマの遊ぶ庭ともいえる。

大雪山は縄文人からみると原初の神の山ではない。原初の神によってあとから作られた火の神や大地の神のせめぎあい噴火して生まれた山なので、全てと同格の神なのだ。この場合の全てとは山も、川も、熊も、シャチも神だけど、人も同じく神だと考えている。ただ、人知を超えた力を目の当たりにし時にカム、もしくはカムイという称号が付くのだが、実際、名づけの時にカムイというのを付けることもよくあることだ。

その上で、ヒグマの力がもっとも人知を超えているとみなされ、特に大型のヒグマの多い地域では、ヒグマをカムイ一言で表すことが多い。

それ以外の熊はキムンカムイ(山の神)という。


とりあえず、コロポックルたちの情報ではウェン・カム(悪い神=悪い熊)になっているのはいないという。でも、油断はできない。


大雪山系の石狩岳から稜線上に出て縦走を開始する。

キツネのマリもちゃんとついてきている。

独りよりは心強い。


すでにヒグマは何頭か見かけたが、向こうのほうから逃げてくれた。

ただ白雲岳が近くなってくると、この辺りの熊はあまり逃げないで悠然としてた。


すばらしい景色が広がる。

これを見るとカムイミンタラはヒグマの意味ではなくて本当に神の意味ではないかと思ってしまう。

アシリクルも見たのだろう。

涙が出てくるのをこらえる。


ここからは少し道を急ぐ、石狩川沿いを下って、ピップの集落に入る。

まったく初めての集落だ。

少し言葉や文化が違う気がするが、久々の翻訳機能のおかげで問題なかった。


さらに北を目指す。

天塩川沿いを下っていく。

途中からやや西に進路をとり現世の中頓別に向かう。

ここの集落で、長に挨拶をしたのち、古老たちに前に南から女性が来てないか聞いてみる。

昔、女性の旅の狩人が来て山に籠って輝く石を探していたという。

やっぱりアシリクルはここに来ていたのだ。

現世のころ観光用の砂金堀の施設があった地域だ。

ここの話をアシリクルと二人で砂金を探しに行ったときにしたことがある。

それをしっかり覚えていたのだ。


その川に行って、俺も砂金を探してみる。

簡単にしかもけっこう粒の大きなものが見つかった。

3日ほど滞在して砂金を集める。


ここまで来たのだからと、宗谷岬まで行ってみる。

驚いたことにこの最果ての地でも人の営みがあり、しっかりした集落があった。

それ以外の風景は現世の頃とあまり変わらない。

最果ての景色に涙が出てくる。

なんだか涙もろくなったようだ。


途中の川で大きなチライ(イトウ)を釣る。近くの集落で同等のイトウの皮や食料と交換する。


オホーツク海側を南下する。

北の夏は短い。少し旅のペースを速める。

知床に行ってみたかったが、天候に恵まれず断念した。

かわりに、神の子池や摩周湖を見て、釧路川を下り再びトカプチに着いたときには、もう秋分間近だった。


もう峠越えは凍えるほど冷えるからと翌春の出発を勧められたが、少しゆっくりし過ぎたことと、いきなり1年以上の留守は集落の皆に心配をかけるので、せめてピリカノ・ウイマムまで行って冬を越すことにした。


途中、何度か凍えそうになるが、神の力か何なのか死ぬことはなかったし、キツネのマリがぴったりくっついて温めてくれた。

巫女たちと一緒に寝ていた冬を思い出す。


ピリカノ・ウイマムで物置になっている塔の氏族用の竪穴式住居で冬を越すことになった。このときもマリが一緒に寝ていてくれたので寂しさが紛らわされた。


でも、翌春、マリは何度もこちらを振り返りながらも、元いた山のほうへ去っていった。

やっぱりカンチュマリが心配してきてくれたのかな?


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