122.別れの先へ
もうひ孫までできる歳になっていた。
レブン・ノンノと二人っきりになってしまった。
レブン・ノンノは何も言わない。
カンチュマリだったらしきりと新しい巫女を入れることを提案しただろう。
俺の気持ちを知ってか知らずか、その件については何も言わなかった。
カント・ヨミ・クルも昨年亡くなった。
最後に故郷のクルマンタの集落のストーンサークル建設の手伝いに行って、戻ってきたら疲れもあったのか寝込んでしまって、そのまま逝ってしまった。
彼の功績は太陰太陽暦を考えて、俺たちの集落でそれを使い始めたことだ。春分を新年として、最初の満月、または新月までの近いほうの間を閏として、元旦を定める。そこから満月で始まる年は次の満月までが1月、新月で始まる年は、次の新月までを1月とした。できるだけ、太陽暦と太陰暦の差が少なくなるように春分から元旦を近いほうの満月、新月に合わせる方式だ。特に狩猟・採集の季節は太陽暦と差を大きくしたくないが、交易上のわかりやすい日付も重視したい俺たちの集落の実情に沿った暦だった。欠点がないわけでもないが、冬至から春分は多少ずれても問題ないので、この方式を採用した。
年数はこの時代あまり必要ない。そのために俺は転生してからの年数をすっかり忘れてしまった。
カント・ヨミ・クルに嫁いだ、ミナ・トマリはそのまま子供たちや孫たちに囲まれて過ごしているという。
俺の息子や孫たちからはしきりに新しい巫女を入れるように言われた。
そのうち考えるからと胡坐化していた。
北のモシリ(北海道)からの交易団が俺あてに小さな革袋を届けてきた。
中にはずっしりと重い砂金とアシリクルの指輪が入っていた。
トカプチの集落に立ち寄ったアシリクルは、カムイミンタラ(熊の庭)を越えてさらに北へ向かったという。
そして、再びカムイミンタラを越えて、集落に現れた彼女は神と同等の力を持つものとして人々に請われて滞在していたという。
彼女は北の最果てまで行き、これを採集したらしいが、詳しくは誰にも話さなかったという。
亡くなったら、この砂金と指輪を物見の氏族、塔の集落へ届けて欲しいと言い残してこの世を去ったという。
革袋の中から金の指輪を取り出して、じっくり見る。
裏側にうっすら文字が掘られている。
カタカナでアシリクル ユウダイの9文字。
文字はもうだいぶ昔、アシリクルが巫女になる直前、十和田の噴火調査に行ったときに火山灰に名前を書いて教えたものだった。
金は柔らかいとはいえ、硬い金属がない時代、細かな文字を掘るのには根気のいる作業だ。
何より、名前の文字を覚えてきてくれたことに、涙が止まらない。
レブン・ノンノと涙を流しながら話を聞いたが、最後まで彼女は槍を手放さず、集落のために尽力したという。
数年して、レブン・ノンノが塔の階段で転んで、それ以来起き上がることができなくなってしまった。俺は1人で彼女を看護した。
カンチュマリも、ましてアシリクルだったら、申し訳なさから俺の看護を嫌がったかもしれないが、レブン・ノンノは嬉しそうに俺の看護を受け入れてくれる。
愚痴も言わず、かといって申し訳ないともいわず、いつも笑っていてくれた。
本当は辛いことなんだろうけど、寝たきりになっても笑顔を絶やさないでいてくれた。
「オホシリカム様、私はきちんとオホシリカム様の望む通りの巫女になれていましたか?」
「ん?もちろん。みんな支えてくれたし、とても幸せだった。」
「私たちは幸せなまま旅立つけど、オホシリ様はまだまだ先まで生きて辛いこともあると思うけど大丈夫でしょうか?カンチュマリ、アシリクル、ミナトマリと約束したんです。私たちの命はとうていオホシリカム様に及ばないけど、最後に残った者は、最後のときまでお傍で笑顔を絶やさず、勤めを果たしましょうって」
「あぁ、みんな最高の巫女たちで、俺の嫁で、これから先5000年忘れることのできない大切な人たちだ。俺はもう大丈夫だから、ゆっくり休んでくれていい」
そういうと、レブン・ノンノは泣きながら笑ってくれた。
その夜、レブン・ノンノが旅立った。
独りになってしまった。
これで、俺が転生してここに来たことを直接知る者はいなくなってしまった。
突然、不安と悲しみが襲ってきた。
全てが円環し、巡るこの時代の思想にすがりたいが、そんなの気休めだという現代人の余計な考えがより俺の孤独感を強めた。
翌日、レブン・ノンノの葬儀が行われた。
普通、死者は腐りはじめるまで生きているものと同じように扱われる。普通に食事が出され、体を拭かれ、腐りはじめる瞬間まで生きているとされる。しかし、巫女は違う。その力が失われる前に、手早く埋葬が済まされる。
葬儀が済むと、大堂に人々が集まり平伏している。
俺が本当に久々に輿の上に座ると、長老たちが前に進み出て、進言する。
「新たな巫女をお迎えください。我々にとってオホシリカム様には末永く集落、そしてこの地をお守りいただきたいのです。」
「しかし、これでわかったろう神という存在のなんと哀れで、不様で、恐ろしいものか。円環することもなく、人々を見送るだけの存在だ。ただ、私はこれから先、この地、お前たちが交易で知る地域よりも広い大地を守らなければいけない。それが巫女たちの望みでもあった。安心せよ。まだこの地を去らない。ただ、この哀れで悲しい神にここでの役割がまだあるというならしばらく置いておいて欲しい。」
そう言って頭を下げた。
皆が平伏したまますすり泣いている。
しっかりしなきゃいけないな。
亡くなった巫女たちがきっと不安がるだろう。
そう思って涙をぬぐった。
見た目は15歳だが、精神的にはもう80歳を越えたと思う。
転生してからの正確な年数ももうすっかり忘れてしまった。
3人の巫女たちは最初に見送った愛しき人たちだ。
でも、見送られたのは俺のほうかもしれない。
この別れの先へ、まだまだ先の5000年後まで生き続けなければいけないから。