120.旅立ち
アシリクルの娘クンネチュプ・カムイ(月の神)が家族を持つことになった。
クンネチュプ・カムイも母親に負けず男っぽい性格で、狩りの腕前は同じ年代の男性と競っても負けないが、先日ついに打ち負かす若い男が現れた。
もともと狩猟系の家の者ではなくて、交易系の舟の操船担当で海峡渡航の長老の見習いをしている。狩猟の腕前は腕試しの機会がなくわからなかっただけだ。
娘が新しい家を持つと、アシリクルはその時を見計らったように、俺のところに来て二人っきりで話がしたいという。
俺の前に金の指輪を外して置いた。
「オホシリカム様、どうか巫女を辞めさせてください。1人で旅に出たいと思います」
「なぜ、急に。何か不都合や、不安なことが?」
あまりの急な申し出に頭が混乱する。
「オホシリカム様には、とてもよくしていただきましたが、もう歳ですし、これ以上巫女の御勤めも難しくなるでしょう。」
アシリクルは確かに30代ぐらいだろうが、中身が40代の俺から見ると、まだまだ魅力的な女性だ。確かに夜のほうは控えめになったが、それは子供を産んだ後、そして子育てに忙しい皆を気遣ってのことで、別に魅力がなくなったからというわけじゃない。
まして旅をしたいという申し出と、歳だから勤めが果たせないというのは矛盾している。
「いや、それなら一緒に旅をしよう。まだまだ美しいし、そばにいてもらいたい。昨年の金を採りに行ったときのように、また一緒に旅をしよう。」
「ありがとうございます。でも、これ以上オホシリカム様に自分が老いていく姿を見せたくないのです。」
そうか、彼女から見たら俺は娘や息子と同じ姿。自分だけが老いていく。
特に旅で同行すると体力の差はだんだんとついてくるだろう。
でも、たとえ動けなくなっても傍にいてもらいたいというのは俺の我が儘だろうか。
素直にその気持ちを伝えるが、彼女は涙を流してありがとうと言うものの、俺のもとを去りたいという。
もともと狩猟の腕に秀でて男勝り、そして美しい女性だったが、その美しいままでの記憶を俺にとどめて欲しいという。そこらへんは、お互いほとんど涙が溢れ出て、声にならないような会話だった。
「カンチュマリやレブン・ノンノには?」
「彼女たちからも引き留められましたが、きちんとお話しできたと思います。」
俺は条件付きで俺のもとを去ることを許した。
必ず年に1回は集落に戻り旅の話を聞かせて欲しい。
そして、金の指輪は絶対に肌身離さず持っていて欲しいと。
アシリクルが俺のもとを去ったのはそれから間もなくのことだった。