11.塔からの眺め
縄文1泊2日目の昼過ぎ。
さて、何をしよう?カンチュマリも何も言ってこない。昨晩夕食を出された夏の地宮の周りで人々が集まって食材の下ごしらえらしきことをしているのが見える。相変らず大堂では騒ぎが続いている。
ふと大堂の向こう、竪穴式住居らしきものが多くある辺りで、人々の一団が大きな土器を2本の丸太で支えたものを担いで運んでいる。
「カンチュマリ、あれは?」
カンチュマリ「あれは私の大叔母で前の塔の巫女です。」
先代の塔の巫女の葬儀らしい。
「見送らなくてもいいのですか?」
カンチュマリ「塔の巫女はここからすべてを見通せます。次の塔の巫女は、前の巫女をここから見送る習わしなのです。大叔母はとても幸せでした。もう長くはないといわれて、すでに次代の塔の巫女、私を選び、私を支えながら、さらに難しい、この地では誰もなしえなかった神降ろしの儀式を成功させました。黄泉に旅立つ者を皆が笑って賑やかに送り出すことが最高の栄誉ですが、この盛大な祭りの中、送られるのは、本当に幸せなのだと思います。」
俺はふと考え込んでいたが、俺がこの場所に転生した最大の原因はカンチュマリの大叔母、塔の巫女の力だけなのか?まぁそれはあまり考えてもしょうがないと思い考えを断ち切った。
俺もカンチュマリの大叔母の葬儀を見送った。といっても、竪穴式住居が数件でひとかたまりの中心に大きな穴が掘られてそこに土器ごと埋葬されていた。
話を聞くと天寿を全うしたものと幼い子供は、一族、家族の家の集まりの真ん中、小さな広場に埋められるのだそうだ。若くして病気死すると死者の谷。襲撃者との争いや採集などの最中で骨折や外傷で亡くなったものは英雄の丘や集落の守りのため外延部に埋葬されるという。この集落ではまだないが、伝染病の神が現れた後亡くなると火葬になるという。
葬儀は意外に短時間で終わった。埋葬に関わった者たちはにこやかだ。死者を送る雰囲気ではないが、むしろこのほうが亡くなったものも、残されたものにとってもいいのかもしれない。
彼らはそのまま大堂の祭りに参加するようだ。カンチュマリの話では病死や伝染病の死でない限りは、みな賑やかに笑って死者を黄泉に見送るのだという。今回の祭りは神だけでなく、神を降ろす最大の功労者の先代塔の巫女の葬儀の意味もあるのだという。
「今日の夜も賑やかにしないとな」
さて、昨日は夕方で暗くなりかけていたので、じっくり集落周辺を観察する。
カンチュマリはこれから夜まで塔の最上部で灯の管理をするという。
俺もその最上部登ってみたいと言ってみると、意外にも了承してくれた。
塔の最上部には部屋の端のほうに網?のような縄梯子がぶら下がっているが、それを登るという。実は、部屋の外側にも梯子があるが、こちらは木製でほんとの梯子のような形状をしている。ただ、部屋の外側なのでめちゃくちゃ高度感がある。これはメンテナンス用で、塔の巫女に手に負えない修復工事や灯が塔に燃え移らないようにしている土台の交換時など男たちが登るときに使うものだ。塔の巫女や俺は部屋の中から最上部に出られるようになっている。
塔の6本の柱はわずかに内向きだが、6本とも同じ形状の栗の巨木が使われている。この塔の特徴は大きな枝のような木が斜めに差し込まれて、俺が寝ていた層は外側に枝がわかれそれを支えに横に丸太が渡してある。それを土台に床になっている。だから少し6本の柱の外側にテラスのようになっていた。さらに上部は独特の形状だ、この部屋の天井の脇ぐらいで内側に斜めに木が差し込まれているのが見える。それを支えに今度は斜め上に松材と思われる丸太が斜めにのびてかなり先でクロスして神社の屋根の千木のようになっている。クロス部分は葡萄か何かの蔓で頑丈にくくられている。
したがって俺の寝所の上の部屋は栗の大木ではなくて継がれた松材が斜めになっていて台形型のまさしく屋根裏部屋だった。そこには薪や草?など灯火のための資材が置いてあった。それと小さな炉。再び反対側の壁に再び網のような縄梯子で上がると塔の最上部。
塔の最上部は細長く平らになっていて土器と同じような粘土が敷き詰められて、木部もすべて粘土で覆われていた。中央は真ん中の柱からのびた松材がクロスしているので、その先に炉のような土でできた円筒状のものがありその中で火がくすぶっていた。カンチュマリは手馴れた風に灰を土器に集め、新しい薪をくべていた。
暴風雨の時は消えそうだなと思って聞くと、暴風雨の時は見えないから使わないのだとか。下の階の竃の火さえ消さなければさほど問題ないらしい。つまり最上階の導の灯が消えても塔内で火があっていつでも使える状態なら問題ないということだ。まぁ3人で管理するのだからそのくらいの柔軟性は必要かもしれない。
ここからの眺めは最高だが、同時に高度感がありすぎてこわかった。
だが、山のほうを改めて確認した。
やはり八甲田山に見える。
今日は八甲田山からはあまり大きな煙らしきものは見えない。ところどころ谷筋に白い煙のようなものが見えるが、おそらく噴煙ではなくて水蒸気だろう。でも、一番の問題はその山並みの向こうに白く高く立ち上る雲だ。昨日と同じ位置。ここが本当に日本と同じ地形なら十和田湖のあるあたりだろう。神々の煮えたぎる湖と彼らが言うのもあの辺りだという。
もしそうだとして、十和田湖の一番大きな噴火は数万年前の単位のはずだから、八甲田山を超えてこちらまで直接の被害はないはずだが、6000-5000年前の噴火もそれなりの規模があったという。ここは、たぶんその前後だと思う。
今度は海のほうを見る。
陸奥湾かな?
海岸線はかなりこちら側、近いほうにある。海岸線を見ると塔のある集落がいくつか見えるが、塔のつくりは少し違う。昨日はいきなりで高く感じたが、今日はじっくり観察する。こちらが望楼型と尖塔型組み合わせで木が継いであるぶん30メートル近い高さがあるが、ほかは、三内丸山遺跡で復元されたような角型の塔。おそらく15メートルから20メートル。
他にはここと同じくらいの高さの尖塔型もあるけど、台が何層かあるのみで壁のある部屋はなさそうだ。望楼型の塔はここよりは低そうだけど、復元の塔と違って、3分の1の高さからちゃんと壁のある部屋があるようだ。たぶん1階が壁なしで2階から部屋があり3階建てのような感じだろう。ちなみに俺のいる塔は屋根裏部屋も合わせると4階建てになる。
ここが日本かどうかさらに確かめるためには、南へ行き岩木山があるかどうか?津軽半島と思われる左側の海岸線を北に向かい北海道があるかどうかだが。まずは聞いてみるか。