103.土偶の役割
交易用に新しい土偶を思いついたが、土偶はこの時代の精神性に関わる重要な役割もある。
使い方として、転生してすぐのころカンチュマリから説明された、お守りや身代わりの基本的用途のほかに、契約時の割符的な用途などが、普段目にするものだ。
もう一つが、目立たないが、極めて重要な使い方だ。
俺も、神謡を継いで知ったことだった。
この時代には、殺人、戦争などが極めて少ない。大きな理由は、そんなのしている暇や余裕がない。人を相手にするより、大自然との関わりのほうが命がけで、とにかく助け合わなければ生きていけないというのもあるが、少なからず影響があるのが、宗教ではないが現代人と違う精神性の違いだ。
呪術師、長、首長、長老、巫女、そして俺のように神もしくは神の代理の大きな仕事は自然暦の発表とそれに伴う狩猟・採集場の配分だが、もう一つはその精神性にかかわる祭祀だ。
俺も春分の祭祀をやったし、先日までの旅行ではトカプチで本格的な祭祀も見ることができたが、この祭祀の共通する考え方は、全てのものは円環、すなわち大きな自然もしくは原初の神によって循環するというものだ。ただ、その循環のさなかにウェン(悪い)ものが神、霊、魂、象に入ることのないように祭祀を行う。
ちなみに悪い4つの神、霊、魂、象とは次の状態だ。
悪い神はウェン・カム(悪い神=悪い熊)のように原初の神が創った神々や神格の持つ動物が人を壊す行為をして悪くなったもの。火山や洪水など大規模災害もこれに入れる地域もある。
悪い霊は人が人を壊す、つまり怪我をさせたり滅多にないが殺人をしたり、食料を無駄にしたり、人間が悪いことをした状態。物を盗んだり、壊す行為もこれにあたる。
悪い魂は植物や死んだ生物の中で、食料が腐って人間がお腹を壊したり、病気になるようなことや、有毒植物や毒キノコも悪い魂とされる。
悪い象とは無生物が壊れること。主に土器や道具が壊れること。家や塔の倒壊、火事や土砂崩れなど小規模な自然災害も含む場合もある。
そして、この順番がもっとも人の恐れる順位になっている。
最初の悪い神は人知ではどうにもならない部分が多い。
全くの神頼みしか対処のしようがないわけだが、次の悪い霊からは、人間の対処でどうにかなる部分が多い。
そして、一番下の悪い象、これはわざと起こすことで、悪い霊を剥がす効果があると信じられている。
このとき壊すのが主に土偶だ。
現代人もそうだが、物を壊す行為は、普通壊す直前までは罪悪感は感じない。というか壊す直前に罪悪を感じるなら、そもそも壊す行為は行わない。
つまり、物を壊すに至るということは、悪い霊に憑りつかれている状態で、物が壊れて罪悪感を感じたということは、そのとき悪い霊が体から離れたと考えられている。
そこで、大切なもの、自分の身代わりの土偶であったり、自分の生まれた母体、つまり妊娠している母親や、自分の伴侶を象った土偶を割る。それを割ることができたということは悪い霊に取りつかれているということだが、割ってしまうとものすごい罪悪感に苛まれる。そうなれば、まっとうな人間に戻ったと感じて安心する。
自分が悪い霊に憑りつかれていないという安心感のために土偶を割ることが多い。
言い換えると、人間関係などストレスが高まると、これをやって冷静さを取り戻すということらしい。怒りや妬みというのも悪い霊、罪悪のひとつと考えられているので、それを少しでも感じたら土偶を割ってみる、割ることができて、かつ罪悪を感じれば、安心する。自分を試すということらしい。
なので、あんまり大量に土偶を壊す行為もストレスの多い集落と見られかねないし、まったく壊さない集落も、実は完全に悪い霊に支配されてしまっていると思われかねないようだ。
そうはいっても個人の土偶は、それぞれにとってとても大切なものだから、そうそう壊したりはしない。
祭祀では集落全体の悪い霊を払うために、大きめの土偶を用意することもある。
集落全体で象徴的な土偶を壊すことで、集落として罪悪を感じ、こういうことはしないようにしましょうと心に刻むのだ。
さらにいうと個人で土偶を壊す行為をすると、周りの人間がものすごく心配して、サポートしてくれる。それだけストレスを感じていてSOSを発していると見られるのだ。
全く犯罪や殺人がないわけではないが、大変なりに人々が助け合って生きている。神謡の知識では、今よりさらに古代でそうでもない時代も多くあったが、おそらくこの時代が人間の良心の高まりの絶頂期のような気がする。
これより先は、良心が退化とまではいかないが、大きく高まることはないだろう。