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紅白薔薇に口づけを  作者: 藤波真夏
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第五幕 紅と白の邂逅

お待たせしました。続きを更新します。藤波真夏

第五章 紅と白の邂逅

 旭と紅葉、互いに知らないところで着々と行動が発生していた。

 紅葉は神楽坂の店へ出向き、すずに報告をする。するとすずはぱあっと明るくなった。それをみた紅葉は心が温かくなった。三日三晩の疲れが報われた瞬間だ。

「いつその人が来てもいいように構えておくことが大事です」

「そう、そうなの? 常に緊張なんて・・・」

「予約制のお店ではないですからね。ここ。我慢してください」

 立場逆転はまさにこのことを言うのだと思った。するとすずに客が入った。急いですずが部屋へ向かい顔を上げたその瞬間、目の前にはあの顔が。

「あ、どうも。いつぶりですか?」

「あなた様は!」

 泉だった。心臓の鼓動が早くなる。緊張してきっと顔は赤い、なかなか泉を直視することができなかった。泉の隣には付き添いでやってきた旭が控えている。

「お、お久しぶりです・・・」

 旭はぎこちない笑いをすずに向ける。旭も手伝いにやってきたものの、まるで見合いを仲介する仲人のような気持ちだ。すずの視線の先には何も置いていないお盆が一つ。ハッとなってすずは頭を下げた。

「お、お酒がまだでしたね! すぐにお持ちいたしますので少々お待ち下さい!」

 すずは慌てて部屋を出て行った。別の部屋へ酒を運んでいた女中に酒を所望すると急いで紅葉がいる部屋へ戻ってきた。

「紅葉さん!」

「?! どうしたんですか?!」

「きた・・・」

「きたって何が・・・」

「泉さまです!」

 紅葉は驚いて言葉を失った。あまりにも都合が良すぎて驚いてしまった。どうしましょう、と呟いた。まずはお互いを知ることが大事だと紅葉は考え教える。恋愛経験はからっきしな紅葉が言えることではないが、でもこれだけは言える。

 白薔薇であったせいなのか客観的に物事を見る力が自然に染み付いた。逆に言えば自分をまっすぐ見ることができないのが唯一の欠点ではあるが、今はそんなことを考えている場合ではないと自分を奮わせる。

「いいですか? まずは自分のことを話すんです。気持ちを急いてはいけません、慎重にいきましょう」

「わ、わかりました」

 すずがそう言うと襖が開いて女中がやってきた。酒の準備ができたので運んで欲しいとのことだった。すずは覚悟を決めてお盆を持つ。そして紅葉を泉と旭がいる部屋の隣に移してすぐに移動できるようにした。

 部屋は襖を隔てているため大きな声は筒抜けの状態である。すずの声は隣にいる紅葉の耳に入ることになる。

「お、お待ちどうさまでした」

 酒をお酌し泉と旭は会話を楽しんでいる。泉は酒を飲むだけでなかなかすずに話を振ることができない。すずもなかなか話を切り出せないでいる。旭は張り詰めた空気感に嫌気がさして厠に行くふりをして立ち上がろうとするも、泉に殺気立たれて動けなくなった。

 俺を置いて逃げるな!

 この人、本気だ・・・! 泉さん、恐ろしい人!

 旭も逃げ場を失った。この沈黙を破らなければ旭も泉も勝機はない。なんとかしなければ、と話題を必死に考える。ここまで頭が回転するのは小説のネタを考えているとき、それ以上である。

「あ、すずさん。すずさんって本は読みますか? 泉さんは小説家の助手で僕は大学で小説家になるための勉強をしてるんです」

「そうですね・・・」

 すずは考える。いつもお座敷に出るときに使う廓言葉が完全に抜けてすず本人の顔が見える。

「子供の頃は読んでいましたよ、結構。でも、お姐さんの弟子になってからはあまり読まなくなってしまったわ。でも、一番心に残っているのは・・・森凛太朗先生の『鞠姫』ですね」

 泉はハッとした。文学好きなら誰もが知っている作品である。

 『鞠姫』は森凛太朗の描く恋愛小説である。若くして将来を約束されたエリートの若者と鞠つきの名手の娘通称鞠姫との恋愛模様を描いたものだ。これは泉がまだ子供の頃に発行されたもの。

「俺もそれ読んだことあります。奇遇ですね。でも男が恋愛小説を読むって」

「そんなこといいではありませんか。恋愛小説を男の方が書いているんですよ。読むのも自由です」

 すずはそう返答する。

 すずの笑顔にぱあっと泉も顔が熱くなる。何かがこみ上げてくる。

 よし、共通話題は得たぞ。このまま、いい感じに持っていけたら!

 泉の頭の中が今まで以上に回転する。こんな好機は二度とないだろう、と次の一手を出そうと思索する。

 すずもそれは同じだった。しかし都合よく酒が切れて話は中断した。新しい酒が持ってこられる間また沈黙が流れてしまう。沈黙が続いたがまたそれを打ち破る。

「そ、そういえば泉さん! この前、ウエノ公園に出かけようって話してたじゃないですか! 実は・・・」

「どうした?」

「実はどうしても外せない用事ができてしまったんです。やらなきゃいけない課題があるんですよ。特別課題とは別に」

 旭は帝都の名所ウエノ公園に泉と出かける約束をしていた。旭は沈黙を少しでもやわらげるため、嘘を放り込んだ。嘘も方便というのはまさにこのことである。本当はやらなきゃいけない課題なんて存在しない。今課されている課題は大木夏目の特別課題だけだ。

「そ、そうか」

 すずはほっと息を漏らす。

 その会話の一部始終を隣の部屋で聞いていた紅葉は気持ちが声にならない叫びとなっていた。声を出してしまえば聞き耳を立てていることが一瞬でわかってしまう。

 すずさん! その話に乗ってください! 乗るんです! まずはデェトですって!

 紅葉の思いは虚しく終わるものかと思われた。その強い念が泉に通じたのか泉が菅初入れずに口を開く。

「すずさん! 一緒にどうですか?」

 言った!

 旭と紅葉の心の中はその言葉を待ってました、とばかりに同時に叫んだ。すずは驚いたものの少し考えて返答する。

「私でよければ喜んで」

「あ、ありがとうございます!」

 神楽坂での長時間接待はこのようなデェトの約束を取り付けたところで幕を下ろした。明かりで顔を変えた神楽坂を男が二人で歩く。旭は今までで一番気を使ったような思いだ。しかしこれで泉の手助けは滑りこみで成功を掴んだのである。嬉しいの感情の他になにがあるだろう。

「紅原。助かった。恩にきるよ」

「いいえ。僕は僕の成すべきことをしただけです。僕の持てる紅薔薇の全てです」

 二人の間を坂道から吹き上げる風が流れる。

 すずと紅葉も同じように安堵していた。文豪との恋は危なっかしいと世間は言うが、恋にまっしぐらな若者を止めることなどそう簡単にはできない。それぐらい、紅葉でさえ理解していた。これから先がどうなるのかは誰にもわからない。彼らがどういう方向に進むかは本人たち次第だ。

 時間はあっという間に流れて泉とすずはウエノ公園で待ち合わせをしていた。旭も紅葉も気になって仕方がないが仕事や学業と言った縛りがあるために影から見守ることができない。ただ二人の発展を願うだけだ。

「うわあ。ウエノとはこのような場所なのですね。初めて来ました」

「そ、そうですか?! う、嬉しいです!」

 半ば上ずった声を出しながらデェトは進んでいく。ウエノ公園は帝都の人々の憩いの場。西洋建築から学んだであろう左右対称シンメトリーを活かした噴水もありデェトするには十分すぎる場所だ。

 ウエノ公園の出店でコロッケを買い、豪快にかぶりつく。泉はここのコロッケ屋のコロッケは絶品なんですよー! と興奮気味だ。その様子をすずは驚いたもののうふふ、と笑った。

「泉さん、まるで少年みたいだわ。体は大人になっても癖は少年のままで見ていて微笑ましいわ」

「すずさんも食べます? 俺、ご馳走しますよ?」

「え?! 悪いです!」

「いいんです! 本当にここのコロッケは美味しいんです! 是非是非! オヤジ! いつものコロッケ一つ!」

 泉はすずの分のコロッケを買い、すずに渡す。コロッケは湯気を上げて熱そうだ。すずは遠慮がちに口を開けてコロッケを口に入れる。

「お、おいしい!」

「そうですよね!」

 すずは初めて食べたウエノの味に舌鼓をした。可愛げがあってどこか芯の強さを感じるすずに泉は心を鷲掴みにされてしまっていた。

 時間はさらに経過し辺りは暗くなった。ウエノ公園は美しく光に溢れた。最近導入した装飾電球イルミネーションが瞬く。闇夜を照らす光は人の心を温かくも移ろいやすくもする。

「今日はありがとうございました。私、楽しかったです」

「それは俺もです」

 光輝く噴水の前に座り二人は語り合う。すずの横顔はこの世界の誰よりも美しく泉には見えた。泉は心に湧き出る気持ちが抑えられなくなった。ふいに手を掴み、口を動かす。

「あの、俺は・・・」

「なんですか?」

 すずは驚きもせず泉の手を握り返した。早くその言葉をちょうだい、と言っているようだったのだ。泉は照れてなかなか言い出せない。すずがしびれを切らして口から言葉が出てくる。

「泉さん、私は貴方を初めて神楽坂でお逢いしたときから気になっておりました。作家の先生や後輩さんに対するあのお人柄、私はとても愛う思います。今日だってまさかウエノでコロッケを頬張るなんて思いもしませんでした。その体験は泉さんと一緒だったからこそ、できたのです」

 すずが全てをもっていった。

「全部言われた・・・」

「泉さん、言うの遅いんですもの。しびれを切らしました。でも、女の私から言うのは少しはしたない気がいたしますが・・・」

 すずは俯いた。泉はすずの手を両手で包み込み、顔をぐっと近づけて言う。

「すずさん。改めて俺から言わせてください。これからも俺の隣にいてくれませんか? あなたのことをお慕いしているんです。俺と、付き合ってくれませんか?」

 するとすずの目から一粒の涙が落ちた。目は潤んで大粒の涙がまた今にも落ちそうだ。泉は慌てて立ち上がった。顔を赤くして早口でなだめようとする。

「す、すいません! 泣かせるつもりはなかったんです! あ! そうだ、またあのコロッケ買ってきます! あ、でもまた同じは・・・、じゃあ、紅原の姉貴が働いてるカフェのイチゴケェキのほうがいいでしょうか?!」

 慌てようにすずはフフッと笑う。その声を聞いて泉が振り返ると涙を流しながらも笑顔で泉を見ている。

「泉さん。嬉しいです! 貴方からその言葉が聞ける、なんて思ってもいませんでした」

「え? じゃあ!」

「はい。よろしくお願いいたします。じゃあ、あの屋台のコロッケ、食べに行きましょう。おかわりが欲しいのです」

「はい! 喜んで!」

 泉はニッと笑い、すずの手を取り再びウエノ公園の敷地内へ入る。早く行かないとコロッケが売り切れてしまう! と声を上げて走りだす。

 すずの小さな手は大きくて温かい手に包まれていた。心臓の鼓動が伝わってくる。もうそれはうるさいだけのものではなくなっていた。心地のいいものに変化していった。

 再びコロッケを頬張って二人は笑いあう。もう辺りは真っ暗で街灯が目立ち始めていた。コロッケの湯気は静かに夜空に消えていく。ふとすずは夜空を見上げる。

「どうかしました?」

「私は覚悟していたんです。私は芸者で三味線やお座敷などでお勤めをする。女の幸せなど得られるものではないと思っていました・・・」

 すずは静かに話を続けた。

 かつてすずは芸者として京都にいた。芸事の稽古に日々励んでいた時、東京の帝都にある神楽坂のお店から是非芸者として働かないか、という勧誘スカウトが来たのだ。住み慣れた京都の土地を離れ、ハイカラ文化が花咲く帝都にやってきたのだ。

 すずは芸者としての才能をすぐに開花させ、神楽坂でその名を知らぬ人間はいなくなった。すずは栄光を勝ち取った勝ち組、ではなかった。

 芸者をして生きるということは一生を芸に縛られて自由を手放すことと同じだということだ。芸者と恋愛をするということは負ける賭博をすることと同じことだ、と。ろくなことがない、という世間を気にしていた。きっと女としての一生は得られないものだと。

「だから私は一生籠の中の鳥として生きる覚悟をしていました。だけど・・・」

「だけど?」

「私は泉さんと出逢って籠の外に出たいって思ってしまったんです。私は幸せになってもいいってことですよね?」

 すずのまっすぐな瞳に泉の心は一瞬にして射抜かれた。泉はコロッケを頬張って言った。

「・・・幸せになっていい、じゃない。幸せになる権利は誰にもある。俺にもすずさんにも」

「じゃあ、いつか私を本当の意味で攫ってくれますか?」

「・・・ええ。お安い御用です」

 泉は笑って夜空を見上げた。今日の夜空はいつもより美しかった。



 一方、部屋の窓から紅葉は同じ夜空を見上げていた。

「白薔薇は純粋の象徴・・・。すずさん、私は・・・白薔薇が幸せを願ってはいけないのでしょうか? 私はわかりません」

 紅葉の顔を月光が照らす。白い服が妖艶に照らされる。

 私はきっと避けては通れないのね、きっと・・・。

 紅葉はふと部屋の中心に置いてあるテーブルの上を見る。そこには忘れたくても忘れなられない思い出の代物が置いてあった。ステンドグラスのように美しい薔薇の栞。逃げてはダメと何度も自分に言い聞かせた。

 そして同じ時刻。

「紅薔薇は栄光の象徴・・・。僕は逃げてたのかもしれない。これは避けられない道なんだ。受け入れる覚悟を作らなきゃダメだ」

 旭だった。

 泉のいない部屋で一人原稿と一対一。特別課題に取り組むべきはずが筆は止まり、思い出したのは過去のこと。題材はすでに決まっている。あとはそれを原稿に書きなぐるだけだ。しかし紅薔薇のことを思い出しては考え込むの繰り返し。


「「逢いたい・・・。あの人に」」


 同じ言葉を二人は言った。



 そして大木夏目の特別課題締切日がついにやってきた。全員がそわそわしながら講堂内に入る。全員が思いをぶつけた原稿を持っている。自分の書いた小説を小説界の大物に添削してもらえるのは身にあまる光栄だった。

 旭も小説を無事書き終えた。内容は旭が描くには珍しい恋愛小説だった。

 題名は『光溢れる花一輪』。

 内容はある若者が芸者に想いを寄せ、どうにかこうにか振り返ってもらおうと奮闘する姿が描かれている作品だ。恋愛テイストでありながら若者の初々しさを直接的な表現をした。

 自由に憧れる芸者と外の世界の自由さを教えようと奮闘する若者。初恋をテーマにした純粋すぎる小説だ。

 もちろんこの話のモデルは高野泉とすずの二人。旭目線で見た二人の姿、さらに泉本人から聞いた進展内容からこの小説は完成した。

「みんな、おはよう」

 そうこうしているうちに講堂に大木が入ってきた。さっきまでのざわざわが嘘のように静まり返る。

「学生諸君。一ヶ月ぶりだね。この一ヶ月間、よく頑張ってくれた。それでは特別課題を提出してもらう。君たちの作品を楽しく読ませてもらうとしよう」

 学生たちは各々書いた原稿を教壇に提出していく。どんどんと積み上がる小説。旭も小説を置いた。大木と目があって軽く会釈してその場を離れる。

 授業はすぐ終わった。提出が終わって安堵した、わけでもなく旭は別のことでもやもやとしていた。家へ戻ると泉が出迎えてくれた。元気のない旭に泉は久しぶりに飯を作る! とはりきり手作りのおかずを作った。

「紅原! さあ食え!」

「あ、おいしい!」

「だろぉ?! どうしたんだ、旭。お前らしくない。まさか、紅薔薇のことか?」

 旭は泉の方を見る。やっぱりな、と腕を組む。

「お前は避けて通れない道だ。こればっかりは誰も助けられない。もちろん俺もだ。でも白薔薇と邂逅しないとこの先、お前はどうなるか・・・」

「でも彼女の居場所がわからないんです。会おうにも・・・」

 旭の言葉に泉は試すような言い方をする。泉の口から出た言葉は予想外のものだった。


 お前は白薔薇に会ってどうしたいんだ?


 旭は口をつむったが泉に言った。

「僕はただ謝りたいんです。僕はあの時、白薔薇を蔑む人たちが許せなかった。だけど、それ以上に僕の存在自体が彼女を追い込んでいたんだとしたら僕も白薔薇を蔑んでいることになる。そんなの絶対に嫌だ。このまま凍りついたまま終わるなんて嫌なんです。だから僕は白薔薇に会いに行きたいんです。紅薔薇の責任として」

 旭の表情は真剣そのものだった。泉はフッと笑って背を向ける。

「そうか。なら今すぐにでも行ってこい」

 旭はカバンを肩に下げて玄関を出て行こうとすると泉が大きな声を出す。

「そういえば、すずさんがこんなことを言っていた。俺がお前に助っ人を頼んだように、彼女もまた助っ人を頼んでいたそうだ」

「助っ人?」

「そうだ。彼女も俺と同じだったようだ。助っ人のことをすずさんが話してくれたんだ。すずさんは名前こそ言わなかったが助っ人のことを『白薔薇さん』と呼んでいた」

 旭はハッとした。

「白薔薇?! 彼女はどこの人ですか?!」

「彼女は毎日新聞社にお勤めの新聞記者だ。毎日新聞社に行ってみればなにか掴めるかもしれないぞ?」

「泉さん・・・。ありがとうございます!」

 旭は深く頭を下げて外へ出て行った。外は夕暮れ。空は茜色に染まっていた。部屋から飛び出してただ走り続ける旭を窓の外から泉は見続けた。茜色に染まった帝都を旭は無我夢中で走り出した。旭は毎日新聞社に到着する。しかし部外者である旭は中に入ることができない。

「君は?」

 旭は声をかけられた。振り向くとそこにいたのは紅葉と仕事をしている同僚の阿部だった。

「あの僕、帝都大学生の紅原旭といいます。その毎日新聞社にお尋ねしたい人がいるんですけど」

「お尋ね? 名前は?」

「そ、それが・・・」

 旭はハッとする。探している人物の名前が浮かばなかった。走ることに夢中で頭の外へ出てしまったようだった。旭は焦る。このままでは怪しい人物として処理されてしまう。すると頭の中に浮かんだ。

「『白薔薇』が似合う女性をご存知ではないですか?」

 旭が白薔薇を口にした。これは旭が持つ最終手段だった。紅薔薇の名前を持つ旭にとって紅薔薇と白薔薇の醸し出すオーラは完全に自分達から溢れるものであることを理解していた。

「白薔薇・・・。もしかして白河ですか?」

 その名前を聞いた瞬間、旭は一瞬で記憶が蘇る。

「そうです! 白河紅葉さんをお尋ねしたんです!」

「今日、白河は休みで会社には来ていないんです。でも今日も神楽坂で取材だって行っていたから・・・」

 阿部からその言葉を聞いた旭はすぐに行く場所に察しがついた。素早くお礼を阿部に言うと走り去った。阿部の制止も聞かず旭は神楽坂方面へと走った。一人残された阿部が呆然としていると会社から谷崎が出てくる。

「阿部。どうした? それよりさっき勢いよく走って行った小童は誰だ?」

「白河を訪ねてきたそうです」

「白河を? もしかして白河のコレか?」

「いや〜、谷崎さんが考えるような関係ではなさそうでしたけど。帝都大学に通う学生さんで名前を紅原旭さんというそうです」

 紅原旭ねえ・・・、とつぶやいた谷崎は何かを思いついて阿部に旭のことについてもう少し詳しく調べるように指示をだした。阿部は理由を聞こうとするもただの興味だ、と谷崎にあしらわれた。

 旭が神楽坂に到着した時にはすでに太陽は沈み、夜になっていた。夜の神楽坂は別の顔を見せていた。旭はすずの勤める店に入り込んだ。

「すいません! すずさん、いらっしゃいますか?」

 店の人間は急いで奥に行きすずを呼んでくれた。

「これはこれは。紅原さん。泉さん、今回はいらっしゃらないんですね。いかがいたしました?」

「今、このお店に白河紅葉さんという女性はいらっしゃいますか?」

 その名前を聞いた瞬間、すずの目の色が変わる。全てを悟ったかのようにすずは奥へどうぞ、と旭を部屋へ案内した。薄暗い廊下を歩くと突き当りの部屋の襖を開けた。するとそこにいたのは紅葉その人だった。

「・・・来ると思ってたわ。紅原くん」

「白河・・・さん」

 すずは頭をさげると襖を閉めて出て行った。部屋には旭と紅葉の二人が残された。長い沈黙が続く。数年の空白を乗り越えて互いに顔を合わせた紅薔薇と白薔薇。

「僕は、あなたに謝りたかった」

「え?」

「僕は何の因果か、紅薔薇に選ばれた。紅薔薇は栄光と華やかさの象徴と聞けば聞こえがいい。でも僕が味わったのはそんなものじゃない。大きな期待に打ちひしがれ、期待以上のものを求められた。僕は・・・そんなに目立つような人間じゃない。でも君にとってはそんな僕の存在が苦しみを与えていたと思った」

 旭がカバンから取り出したのはまだ高等学校に行っていた頃の記事。しかもそれは旭と紅葉の運命を変えてしまったあの記事だった。

『高等科ニ紅薔薇誕生ス。女学校デハ白薔薇、白河紅葉、百年振リニ。紅薔薇ハ高等科ノ紅原旭』

 紅薔薇と白薔薇の記事だった。少し色あせてしまったが旭はあの日以来大事に保管していた。

「僕は君を助けられなかった。君は私の気持ちなんてわからないって言った。本当にその通りだったと今になって思う」

 二人の間を冷たい風が流れた。髪の毛を揺らした。黙っていた紅葉が口を開いた。

「最初、私は一生白薔薇の棘に拘束されてしまうんだな、って思ってた。様々な人たちの言い分を聞かず白薔薇と言われればすぐに耳を塞いでしまった。自分の言葉だけに閉じこもっていた」

 紅葉は不意に髪の毛に触れる。そこにはすずがくれた白薔薇をかたどった髪飾りがあった。

「白薔薇の名前はきっと一生つきまとう。それはあなたも同じ。このまま逃げ続けてもいけないって思ったわ。だから私は決めたの。紅薔薇と邂逅しようと。凍りついたままの関係に終止符を打たなくてはいけないと」

「僕も同じです。ごめんなさい」

 旭は紅葉と手を合わせた。あのとき、いじめを受けて傷だらけだった紅葉の手は小さくて絹のように綺麗な手になっていた。まるで白薔薇を彷彿させるものだった。

「紅薔薇と白薔薇の生きる道はきっとイバラの道。歩いていきましょう。しっかりと・・・」

「さすが小説家の卵ね。言葉の選び方といい、きっと大物になるわ」

 二人は笑った。

 青春時代には見せなかった笑顔が再び蘇った。部屋の外ではすずが話し声に聞き耳を立てていた。すずも安心した表情を見せた。実はすずは泉と共謀してこのような形で二人が話せるような場所を作ったのだ。

「すず」

 店に泉が入ってきた。するとすずは口の前に人差し指を立てて笑った。それを見て察した泉も笑って聞き耳を立てた。


 旭と紅葉が邂逅したまさにそのとき、毎日新聞社で阿部は谷崎に頼まれていたことを報告した。

「谷崎さん。紅原さんについてです」

「わかったか?」

「はい。紅原旭さんは帝都大学の学生さんで小説家を目指す卵です。生まれも育ちも帝都。一部情報では大木夏目も唸らせたとも言われる将来期待される小説家の卵だそうです。しかも彼、例の紅薔薇だそうです」

 谷崎は驚いた。彼がその紅薔薇か、と。阿部は谷崎に質問した。なぜ彼のことを調べてと頼んだのかと。また興味本位だ、と言われるのかと思いきや谷崎から意外な言葉が返ってきた。

「心配しただけだ。まだ若い白河のことだ。変な奴に絡まれてるのではないか、とな。ちょっとした親心が働いただけだ」

「谷崎さん・・・。見直しました」

「今まで俺のこと、そんなふうに思ってたのか? お前は」

 谷崎は阿部の頭をごついたのだった。


 それから数ヶ月後のことだった。

 大木夏目の特別講義の時間になった。あの特別課題の結果が発表される日がきた。学生全員が不安でいっぱいだ。旭も朝から緊張が止まらない。いつもよりは心が軽い気がするのは紅葉と邂逅をしたからだろうと思った。

 大木が登壇するとすぐに静かになった。

「学生諸君、おはよう。さて以前に特別課題を提出してもらった。長い間待たせて申し訳ない。全員素晴らしい作品だった。私はとても感動している。その中で一番私の心をつかんだ作品を発表しようと思う」

 大木は一呼吸置いて口を開く。

「帝都大学三年、紅原旭『光溢れる花一輪』」

 旭は驚いて立ち上がった。その瞬間、周囲の学生の視線が集中する。旭が教壇に立つ大木の姿を見ると大木は笑ってこちらを見続けた。

「素晴らしい小説だった。後で控え室に来なさい」

 大木はそう言うと講義室から出て行った。

「紅原すごいよ! さすがだ!」

 旭の友達が集まる。旭は何が起こったのかわからずに混乱していた。旭は言われた通り、大木のいる控え室へ向かった。そこまで行くのに人の目を避けてきた。まさに紅薔薇ゆえだろうか。

「大木先生。紅原旭です」

「いいよ。入ってきたまえ」

「失礼します」

 旭が扉を開けると大木がソファに腰掛けて迎えてくれた。旭が一礼をすると大木は向かい側のソファに座るように言った。

「君の作品は素晴らしかった。あんな初々しい恋愛小説は初めてだよ。何をモチーフにしたのか、聞いてみたいのだよ」

「実は身近の人物をモデルに考えました。この作品をどうしようか考えていたとき、ちょうど小説のような出来事が起こって知らないうちに書きなぐってました」

「それは天性の才能ですな」

 大木は笑った。旭はとんでもないです、とくけ加えた。大木はカバンの中から大量の原稿用紙を取り出した。そこには鉛筆で書かれたであろう跡が見える。

「これは?」

「私が明後日発表する新作小説の生原稿だよ」

「?!」

 旭は驚きのあまり口が開き、動きが固まる。今手にあるのは未発表の小説の生原稿だと思うと旭は固まる。すると大木は旭に聞いた。

「紅原くん。君の夢はなんだい?」

「小説家、です」

 旭の表情は真剣だ。目線は大木の心を射抜く。すると大木はこう告げた。

「やはり君は稀代の紅薔薇だ。そのオーラ、隠せないか」

「何が言いたいんですか?」

「すまない。遊びすぎた。本題に入ろう。君が大学を卒業したら本格的に小説家として腕を磨きながら頑張るだろう。しかし、今のままではうまくはいかない確率が高い。そこでだ。今まで私は弟子を取ることなどないんだが、君を弟子にしたいと考えているんだよ」

 旭の思考が停止する。何を言っているんだ、この人は、とまで心が言い出す。

「君が大学を卒業したら弟子に取りたいと言っているんだ」

「弟子ですって?! それは光栄なことですけど・・・いいんですか? 僕で」

「受けるかどうかは君の自由だ。強要はしない」

 旭は数分話をして控え室を出て行った。旭は真っ青な顔をして廊下を一人歩いた。



 旭は家に帰れずそのままウエノ公園に来ていた。あたりは暗くなってくる。一人噴水に腰を下ろしていた。

「紅原くん?」

 後ろから聞き覚えのある声がした。振り返ると仕事終わりの紅葉がいた。真っ白な服をきた紅葉に旭は何か新鮮味を感じた。

「紅葉・・・」

 紅葉が隣に座る。青春時代に見た紅葉の顔はどこか危なっかしかった。しかし今隣にいるのは凛とした白百合のようだった。

「大木先生って知ってる? あの有名小説家の」

「知ってるわ。彼の影響はものすごいもの。彼が新作を出すといえば人は群がり、新聞社たちはその話題に持ちきりになるほどだもの。それがどうかしたの?」

 旭は紅葉に打ち明ける。

「・・・実は大木先生に弟子にならないか、って誘われた」

 紅葉は驚きの表情をしたもののすぐに元に戻る。驚かないのか? と旭が聞くと紅葉は言った。

「驚いたけど、だいたいの察しはついてた。大木夏目は弟子も取らないほどの人だからね。でもあなたが弟子にならないか? って誘われたら納得がいく」

「納得いくの?」

 紅葉はハアッとため息をつくと再び口を開く。

「きっと、紅薔薇だったことを知っていたからこの話を持ち出したんじゃないかしら?」

「なんでここで紅薔薇が出て来るんだ?」

 旭は足を抱えてうずくまった。旭が尊敬してやまない大木が紅薔薇のことを知っていたことに少しショックを受けているようだった。

「先生は僕を紅薔薇としか見ていないってこと? あんまりだ」

 ウエノ公園の電灯がつく。さらに装飾電球イルミネーションが輝きだした。夜の始まりだ。紅葉は立ち上がってそんなことないんじゃない? と言い放つ。旭が顔を上げると紅葉は流れ落ちる水を見ながら言う。

「大木先生は小説界きっての大物。彼の人脈は多岐に渡ると思うわ。だってあんなに様々な分野の小説を書く人よ。小説家の卵であるあなたなら知っているはず」

 旭は頷いた。

「だったらそこから紅薔薇と白薔薇の話を聞いても不思議はないわ。まだ紅薔薇と白薔薇っていう言っちゃえばよくわからないものを小説にしようとする作家もそうはいないけどね」

 紅葉が一通り喋ると旭が言う。

「ねえ紅葉」

「?」

「立場、逆転だな」

 紅葉はハッとなった。紅葉にとって辛かった青春時代では旭が紅葉をかばう形、紅薔薇が白薔薇をかばうような形だった。今ではどうだろう。白薔薇が紅薔薇をかばう形になってしまった。旭はふふっと笑った。

 彼の技量と人を見抜く目を侮ってはならない、きっとあなたにはその人を引きつける何かがあるのだと思う。その弟子になるという話、受けるべき、と紅葉は助言する。

 旭の心で何かが音を立てた。軽やかな鈴の音だ。それは旭の心が鳴らしたものなのか、それともはたまた別のものなのかそれはわからない。

「考えてみるよ」

「それがあなたの出した答えなら私には咎める権利はないわ」

 紅葉はそう言ってウエノ公園を出て行こうとする。すると旭と紅葉の心の中でまたあの鈴の音が響いた。何かを予見しているのかわからない。思わず旭は声をかけた。

「紅葉!」

「何?」

「どこに行くの?」

「は? 帰るのよ。家に」

「あ、そう・・・。あのさ、最後に一つだけいい?」

「何?」

 旭は一呼吸置いて紅葉に言葉をぶつけた。


「紅葉。君、何かまだ言っていないことないの?」


 紅葉は表情一つ動かさず笑顔で、何も? と答えた。そのまま明日も仕事だから、と言ってウエノ公園から出て行った。紅葉の姿は闇の中に消えていき、姿が見えなくなった。

 残された旭は急いで家へ戻った。部屋に入ると旭の帰りが遅いと心配していた泉が迎えてくれた。

「紅原! 遅かったじゃないか?! どうしたんだよ、お前にしては珍しい」

「すいません。心配かけて」

「別にいいがよ〜。それよりさ森先生が新作の小説出すことになって、お前に初版本を持ってきたよ。これだ、『廣瀬船』」

 泉は一冊の本を渡してくれた。森凛太朗の新作である。旭はおもむろに開き読みながら泉に言う。

「泉さん」

「どうした?」

「僕、大木夏目先生に弟子にならないか? って勧誘スカウトされました」

 部屋が一瞬にして静まり返る。紅葉にああは言われたもののまだ自分の中で決めかねている。その数秒後に泉が大声を出すことになった。

「紅原! 本当か?! 本当にそう言われたのか?! まあ特別課題で最優秀を取ったこともすごいことだ。まさかその報酬が弟子とは・・・」

 旭は本を開きながら作品の世界に酔いしれていた。泉は驚いているにもかかわらず旭は冷静だ。泉は旭に再び問う。

「紅原。お前、どうしてそんな冷静でいられるんだよ」

「なんかショックを受けた、というか・・・」

「ショック? 大木先生に何かひどいこと言われたのか? 彼に限ってそんなことは・・・」

「別にそんな悪口とかではないんです。大木先生、僕が紅薔薇だってこと知ってらして・・・」

 泉の手が止まる。言ったのか? と聞くが旭は言っていないと返す。泉は旭が最優秀を取った『光溢れる花一輪』に目を向けてパラパラと流し読みをする。一息入れて泉は言った。

「きっと生まれ持っての才能なのかもしれないな」

「生まれ持っての才能?」

「『天性の才能』って言葉あるだろ? お前はそれじゃないか? しかも無自覚の」

「無自覚の才能、ですか?」

 まあな、と泉は言った。この文章を書くものはなかなかいないと経験を踏まえて泉は言う。

「お前は無自覚故に気づいていないだけ。もしかしたら紅薔薇に選ばれる運命だったんじゃないか? お前には紅薔薇としての魅力がある。それを無自覚に醸し出してしまっているだけだとしたらだ。大木先生のお耳にも入るんじゃないか?」

 そういうものなんですかね〜? と旭はつぶやいた。しかし泉も紅葉と言うことは同じだった。こんな機会はない、大木先生にはお考えがあり将来を見込んでだから話に乗ったほうがいいと説得する。

 結局この日は結論という結論は出なかった。

 

 

 しかし旭はなかなか決意ができないまま、三年生最後の時がやってきてしまった。大木には人生の一大決心であるからじっくりゆっくり考えなさい、とかなりの猶予をいただくことになった。

 同じ頃。旭は大学の講義の帰り道を歩いていた。いつも通い慣れた道。途中には梅の働く店がある。小説家志望の旭行きつけの書店もありそこでいつも題名に惹かれたやつをとことん買いあさる、表紙買いをしている。しかし今日は異様に人が多い。旭も頭にあることが浮かんで人の波に呑まれていく。

 そのわけは毎日新聞社に関係がある。今日の朝刊に書かれたトップ記事はこうである。


『大木夏目 新作小説発表。本日発売。小説家大木夏目氏ガ新作小説ヲ電撃発表。現在、書籍ノ増刷ガ進ンデイル。大木夏目氏トイエバ日本屈指ノ文豪デ、小説ノジャンルハ多岐ニ渡ル。純愛、ミステリ、青春活劇ナドデアル。

門下生ヲ取ラナイコトデ有名デアルガ大木氏ノ真意ハ測レナイ』


 この記事を見て人々は書店に殺到しているようだった。

 旭はすぐに大木の新作小説を手にいれることができた。急いで家に戻ると泉は留守にしていた。今日泉は出かけるとは一言も言ってなかった。不思議に思いながらも旭はすぐに大木の描いた小説の世界に酔いしれることになった。

 一方旭の知らないところで泉は神楽坂に来ていた。もちろんすずに会うためだ。今日の泉はある大きな一大決心をしてやってきている。気楽ではない。背中には緊張のあまり汗が伝っている。

 店に通されすずと二人きりになった。いつものようにたわいもない話を進めていくが急に泉は改まり、すずに話を切り出す。

「すず!」

「な、なんですか?! いきなりおっきな声をお出しになって」

 泉は顔が真っ赤でモジモジとして話が切り出せない。すずは心配になって立ち上がろうとした。

「泉さん。もしかして具合が悪いのですか? 今、あったかいものお持ちいたします!」

「ちがうんだ、すず!」

 泉はすずの腕を掴んだ。泉の熱が手からすずの腕に伝わってくる。すずの鼓動が泉に伝わってしまうくらいすずの心臓は早鐘を鳴らした。

「ようやく、ようやく決心がついたんだ。俺の言葉、聞いてくれるか?」

「泉さんの言葉なら、私はなんでも受け止めるつもりです」

 すずは泉に向かい合って座る。焦る気持ちを抑えて泉はゆっくりと言葉を紡ぐ。

「すず。お前はいつか攫ってほしいって言ってたの覚えてるか?」

「覚えてますとも」

「しばらく待たせて悪い。ようやく、お前を攫う準備ができたんだ」

 泉の言葉の意味を最初は理解できなかったものの、次第にじわじわとその意味を理解し始める。しかしなかなかそれが真意とは思えない。疑心暗鬼するも泉はさらに続ける。

「俺はまだ小説家見習いで助手の地位に収まってる。つらい生活が続くかもしれない。でも君だけは絶対に泣かせたりはしない。約束する。だから、俺と結婚してくれ」

 すずの気持ちは頂点に達した。するとすずは泉の胸の中に飛び込む。驚いて後ろに倒れてしまう。はたから見ればすずが泉を押し倒した形になった。

「すず?!」

「・・・泉さんったら、もう! 私はあなたを心の底から愛しているのです。初めて逢ったあの時から・・・。私を攫ってくれるんですか?」

「ああ」

 すずは泉の胸の中で涙を流す。泉はえっ? えっ? と動揺しているが、肝心の返事がすずの口から聞けない。泉がすずに返事を聞き返すとすずは笑い泣きをしながら頷いた。泉はその涙を指で拭った。

「笑いながら泣くってどういう芸当だよ・・・」

「あなたのせいですよ、泉さん」

 二人はこの夜、静かに結ばれた。そんなことも知らず一人家で泉を待ち続けていた旭はそんなことも知らず畳の上で眠りについた。

 翌日。笑顔で帰ってきた泉からすずにプロポーズし結婚をすると聞いた旭が腰を抜かし、病院で「魔女の一撃(ギックリ腰)」と診断され一週間講義を欠席することになったのは、それからすぐの話である。


 ウエノの葉が風に舞った。それは嘆きか祝福か、誰にもわからなかった。いつしか二人の間にあった氷は次第に溶け始めていた。

 紅薔薇と白薔薇。二つの異なる若者は現実を受け入れる準備ができたのだった。紅と白の相容れぬ二つは、手を合わせた。


最後まで読んでくださり、ありがとうございました。次の更新までしばしお待ちください。藤波真夏

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