ヒトイチ出身
何か、気持ちを落ち着かせる呪文でもないだろうか。
運転席でハンドルを握りながら駿河は必死で考えた。
なぜ、よりにもよってこの男と組まされる羽目になったのだろう。
影山誠。
駿河が廿日市南署刑事課にいた頃、同じ部署にいた警官である。
駿河は今まで生きてきた中で、嫌いだと思った相手はそれほどいない。
今の部署の仲間達だって、初めは上手くやって行けるのだろうかと不安を覚えたものだが、慣れたら全員、至って気のいい人達だった。
だが、この男だけは別だ。
既に定年退職している、駿河の教育係であった八塚警部補が教えてくれた。
影山には気をつけろ、と。
警察官の行動を監視する人事一課、監察と呼ばれる部署がある。警察の警察、と呼ばれる。影山はもともとそこの出身だった。
一度でも監察に配属された警官は、他の警官達から蛇蝎のごとく嫌われる。心に疚しいところがある人間は特にそうだ。
監察には日々様々な『情報』が寄せられる。まったくのデマもあれば、真実味を帯びたものもある。本来のあり方としては、不良行為を繰り返す警察官を摘発し、組織内をそれなりにクリーンにする……はずである。
が、中には悪事を見過ごしてやる代わりに、見返りを求める者もいるという。あるいは情報を利用し、気に入らない相手を陥れる。
影山に関しては特に、そういう黒い噂が絶えなかったそうだ。
だから上は彼を所轄の刑事課に異動させたとか。
人事課にいた職員がそれ以外の部署に異動すると、しっぺ返しを受ける可能性が高いからだ。
疚しいことなど、爪の先ほども持ち合わせていない駿河は、初めは先輩刑事の話を半分しか聞いていなかった。
しかし。
次第に、あの話は本当かもしれないと思い始めるようになった。
あれは確か交通課の女性職員の話だった。彼女が駿河と同じ刑事課のとある事務職員との結婚が決まった時だ。
署内の掲示板にとんでもない写真が張り出された。
全体に薄暗い部屋、ギラギラと輝くシャンデリアとミラーボールが目立つ中、その女性職員がホスト達に囲まれ、かしずかれている図である。
大騒ぎになった。
結果的に女性職員は依願退職、結婚の話も流れたらしい。
その写真が捏造だったのか、あるいは本当のことだったのかは未だにわからない。
その騒ぎが一段落した頃、ある日駿河は、たまたまロッカーで別部署の二人の職員が話していた会話を耳に挟んだ。
「あれって確か、シャドウが告ってフられたんだよな?」
「そうそう。しっかし、あいつぶちやべぇよ。えげつないっていうか……」
その時は、何の話だかわからなかった。
しかし後になってシャドウとは影山のことであり、彼が問題の女性職員に好意を持っていて、告白したが失恋した……という話を聞いた。
その報復だったとすれば、なんていう卑劣な男だろう。
ただ、まったくのデマであればその女性も正面切って闘えばよかったのだろうが……どうやら身に覚えがあることだったらしい。それを聞いて暗澹たる気分になったものだ。
それから駿河が美咲と出会い、彼女との将来を真剣に考えるようになった頃。
彼女とはそう頻繁に会える訳でもなく、むしろ事件が発生したせいで、約束を反故にせざるを得ないことも何度かあった。
それでも彼女は文句一つ言わないでいてくれた。
今思えば、相当無理をさせていたのだろう。




