家出夫
三者面談から帰って来た周は、ひどく塞ぎこんでいた。
周の面談があるということを賢司に連絡すると、僕が行く、と言いだし、それに反対する術を美咲は持ち合わせていなかった。
弟は帰宅後すぐに部屋に閉じこもってしまった。
そしてめずらしく賢司も一緒に帰宅した。
顔を合わせるなり夫はコーヒーを淹れてくれないか、と言った。美咲が作った料理は何一つ口にしないくせに、コーヒーだけは別らしい。
美咲が台所に立って湯が沸くのを待っていると、テレビで夕方のニュースが流れた。
『今朝午前6時頃、近くを通りかかった地元住民が発見し、警察に通報したとのことです。なお、亡くなったのはアレックス・ディックハウトさん、23歳。広島経済大学所属の留学生で、専攻は……』
テレビ画面に映った顔を見て美咲は思わず「あっ」と口に出してしまった。
リビングのソファに腰掛けていた賢司が怪訝そうな顔をする。
何か聞かれない内に、と美咲は一旦ガスを止めて、自分の部屋に行ってビアンカに電話をかけた。
「もしもし?」
『あぁ、美咲』
ビアンカの声はどことなく元気がなかった。
「今、ニュース見たの。あの人……」
『ええ、そう。アレックスよ。殺されたの。いろいろなところで恨みを買っていたから無理もないわ』
ひどく冷たい言い草に聞こえたが、これがいわゆる欧米人の個人主義というやつなのだろうか?
美咲が黙っていると、
『……ねぇ、それよりもかんざしは見つかった?』
「ううん、あちこち探したんだけど……」
『そう、残念ね……そうだわ、明日何か予定ある? ないなら一緒にランチに行かない? 少し話したいことがあるのよ』
「いいわよ」
『じゃあ明日、正午にアンデルセン通りでね』
美咲は通話を終えて、急いで台所に戻った。
「誰と話してたの?」賢司が視線はテレビに向けたまま尋ねてくる。
「……ビアンカよ。田代先生のパーティーで知り合った人」
「仲良しなんだね。いいことだよ、彼女とコネができるのは」
ビアンカとそういう付き合い方はしたくない。
美咲はそう言いたかったが黙っていた。
もう一度ガスをつけて湯を沸かす。
賢司が所望したコーヒーを淹れてから、カップに注ぎ、ソファテーブルの上に置く。
ああそうだ、お風呂を入れなきゃ。
「周は高校を卒業したら、関東薬科大学に行かせるつもりだよ」
「え……?」
リビングを出ようとした彼女の背中に、夫の声がそう告げた。
「僕の母校なんだ。卒業したらしばらくは東京の本社で働いてもらおうと考えている。だからこっちに戻るのは、向こうで3年ぐらい働いてからかな」
「それは……周君の意志なの?」
賢司はふっ、と笑ってコーヒーを一口飲んだ。
「そんなものは関係ない」
「そんなのひどいわ! 周君にだって、やりたい仕事や希望があるのよ?」
ひどく塞ぎこんでいた理由はそれだったのか。
「この家の子供に産まれたのだから、あきらめるしかないだろう。恨むなら自分達の母親を恨むんだね」
いつの間にかテレビは切り替わりバラエティ番組を放送していた。
「あなたって、二言目にはそれね。私達にどんな罪があるっていうの?」
「親の罪は子供の罪だよ」
賢司はそう答えた。
「違うわ! そんなこと……!」
あるはずがない。だけど、それを論理的に説明する上手い言葉を美咲は見つけることができないでいた。
すると、賢司は急に立ち上がるとリビングを出て行く。
車の鍵を手にとり、靴を履いて玄関のドアを開けた。
「……どこへ行くの?」
「友達のところだよ」
猫達が玄関にやってくる。賢司は扉を途中まで開けて、ドアを半分開けた状態で振り返り、言った。
「ねぇ、美咲。君こそ、僕の気持ちを少しぐらい考えてくれたことがあるかい?」
賢司は今夜、帰ってこないだろう。
何も言われなくてもわかった。




