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言うことが二転、三転、結局どうするつもりなのか

 その日。夕食の支度を終えたとき、美咲の携帯電話が鳴った。

 女将の里美からだ。

「もしもし? お母さん、あれからどうなったの?」

 

 良い知らせ、と言えるのかどうかわからないが、いろいろわかったことがあるらしい。

 すぐに判明するほど巨額ではないにしろ、少しずつ巧妙に売上金をかすめ取った形跡や、仕入れた高級食材を転売し、代わりに質の劣る安いものを用意して誤魔化す。

 有村優作はそのような事実があったと断定した。

 

 しようと思えばいくらでも不正をする手段があるのだと、美咲は驚いた。

 帳簿は複数人で2重3重にチェックしろ、と彼は言ったそうだ。

 

 委託業務をできる限り減らし、自分達ができることはすべて自分達でする。

 優作の提案を受け入れ、専務と女将は本格的に動き出した。


 そして従業員の勤務態度を正当に評価し、本気でやる気が見られないとわかれば、気の毒だとは思うが解雇通知を出すことにした。

 

 社長である伯父や仲居頭の朋子が猛反発したが、和泉が紹介してくれた会計士の言うことには隙がなく、やがて彼らの意見は雲散霧消した。

 

 経営は確かに立ち直りつつある。 

 もしかしたら本当に、閉館は免れられるかもしれない。

 胸に微かな希望が灯った。


 女将との通話を終えた後、ちらりと時計を見ると、午後7時を回っている。

 周を呼びに行こう。

 美咲がそう思ったタイミングで、リビングへやってきた弟が少し言いにくそうに話しかけてきた。

「姉さん、今度の水曜日なんだけど……」

「どうしたの?」

「三者面談……」

 弟が差し出したプリントを見て、美咲はそういえばもうそんな時期なのだな、と考えた。


 自分の学生時代を思い出す。

 進路相談も何も彼女の行く先は決まっていた。

 

 高校を卒業したらそのまま実家の旅館で仲居として働く。三者面談に唯一の親戚である伯父が来てくれたことなど一度もなかった。

 その頃、今の女将の里美はまだ嫁いできていなかった。

 

 ある時。あれは中学時代のことだったが、浅井先生という女性の担任教師が、美咲の面談に伯父が来ないことに本気で怒り、旅館に乗り込んできたことがあった。

 あの先生だけが唯一、美咲を大切に扱ってくれた良い先生だった。今頃どうしているだろうか?


 にゃあ、と足元で猫が鳴いて我に帰った。

「何時でもいいわよ。そう言えば私、周君の学校に行くのって初めてだわ」

 擦り寄ってくるプリンを抱きながら美咲は言った。そしてふと、

「私でいいの? 賢司さんじゃなくて……」

 周は目を逸らした。

「……俺、高校出たら働いてもいいかなって……」

 そんなふうに考えているとは知らなかった。

 

「やりたい仕事があるのならそれもいいと思うわ。もし何か資格が欲しいと思ったとしても、働きながらでも勉強できるものね」

「姉さんのところの旅館で、使ってもらえないかな?」

「え……?」

「和泉さんが言ってたから、有村さんに任せれば大丈夫だって。きっと立派に経営を立て直すための道を開いてくれるって」

 そう話す弟の口調はどこか、少しだけおもしろくなさそうだった。

「ありがとうね、周君」

 美咲は彼の肩にそっと触れた。

「そうしてくれると嬉しいけど、急いで結論を出さなくてもいいんじゃないかしら。前は確か、和泉さんみたいな刑事になりたいって言ってなかった? それに、保育士さんもいいかもって」

「うん……ところで、姉さん」

「なぁに?」

「賢兄と何かあった? なんか、最近ずっと塞ぎこんでるみたいだけど……」

 ドキッとした。

「そ、そんなことないわよ。大丈夫」

 見抜かれていた。


 しかし周は少しも納得していない顔で、

「どれぐらいの時間、一緒に過ごしてると思ってるんだよ。姉さんが無理して笑ってるのかそうでないかぐらい、すぐにわかるって」

 誤魔化し切れない。美咲はあきらめることにした。


「賢司さんに、別れたいって切り出したんだけど……ダメだった。肩代わりした借金を全部返せって……」

「そんなの、姉さん一人でできる訳ないだろ?!」

「それにね……世間体が悪いって」

 周は顔を歪めた。


 美咲がしばらく黙っていると、

「やっぱり俺、旅館で働く」

 名案を思いついた顔で周は言った。「借金を全部返せるように、御柳亭を日本一の旅館にしてみせる!」

「……周君が営業に出るの?」

「っていうか、宣伝が上手いどうかってこともあるだろ? 口コミの力ってすごいんだぜ? あとはネットだな」

 ネットの世界を美咲は知らない。

 ただなんとなく、ものすごい影響力があるということぐらいしか。

「よし決めた! 気は進まないけど、あとはあの変な有村さんにも相談してみる」

 さっそく周は携帯電話を操作し出した。


挿絵(By みてみん)


 嬉しかった。子供の頃、一生懸命に大浴場の床を磨きながらまだ会ったことのない弟はどんな子だろう?と、あれこれ想像したものだ。

 

 美咲は今まで何度となく自分の母親を恨んだ。

 でも今は感謝している。

 

 弟を産んでくれてありがとう。

進路なんてそんなもの

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