昼顔妻
お前は女に幻想を抱いている。
以前、所轄の刑事課で一緒に働いていた先輩刑事が駿河にそう言ったことがある。
特に性質が悪いのは、清楚なフリして腹の黒い女だ。奴らは計算高くしたたかで、男をクレジットカードかデビットカードぐらいにしか思っていない。
公務員という安定した職業に就いている男は特に狙われる。
国家が破綻でもしない限り、ちゃんと給料もボーナスも出る。
自分は働きたくない、専業主婦になりたい、年に一度は海外旅行ができて、子供ができたら私立に入れて、郊外のお洒落な町に一戸建てを購入して……それを実現してくれる素敵な男性っていったらやっぱり公務員でしょ。
この先輩はよほど過去嫌な目にあったのだろうな、と駿河は思ったものだ。
美咲と付き合い初めて約1年が経過した頃、彼女がプレゼントしてくれたハンカチを使っていたところで、それは女からのもらい物だな? と聞かれた。
そうだと答えると、どんな女だとやたらに聞いてくるので、物静かで柔和な女性だと答えたところ、上の説明が始まった。
男が自分以外の女を目で追うだけでも手厳しく叱るくせに、自分は平気で、好みの他の男にベタベタと触れる生き物なのだ、と。
美咲はそんな女性ではない。
そして先輩刑事は言った。皆、自分の彼女だけは違うって思うんだよ。
昨夜、森川紗代から聞いた話はあまりにも衝撃的だった。あの先輩が言ったことはあながち間違いでもなかった、と。
彼女は最近、婚約者と破局したらしい。
『顔はちょっと残念なんだけど、お金だけはあってね。全然タイプじゃないんだけど、親が喜ぶからまぁいいかって思って。でもさ、ほんっとしょうもない男なの。話す事と言えば自分の仕事のことばっかり。それも上手く行った時の話ばっかり、毎回同じ話しを何度も聞かされてうんざりよ。趣味は昆虫採集だって、気持ち悪くない? このまま結婚したらどうなるのかなーって思ってた時に、別れた彼が急に連絡してきたの……』
マリッジブルーっていうやつ? 森川紗代は笑って言った。
『用件はお金を貸して欲しいってことだったんだけど。彼、一応ミュージシャンなんだけどね、なかなか芽が出なくて……なんか懐かしくて、じゃあ会おうかって話になって、会ったらなんだか……恋しくなって、久しぶりにね……』
何と言っていいのかわからなかった。
『でも、やっぱり生活していくこと考えると、売れないイケメンミュージシャンよりはお金のあるブサメンの方がいいじゃない? だから、昼顔妻でも目指そうかと思ってたんだけど……婚約者に浮気がバレちゃったんだ』
彼女の言うことにはところどころ理解できない単語が含まれていたが、要約するとつまり、金目当てで好みではない男と結婚し、好みの男と適当に遊びたかったということだろうか。
あいつ、将来は間違いなくホステスか金持ちの愛人だぜ。
中学生の頃、同級生が彼女をそんなふうに言っていたのを駿河も聞いたことがある。
卒業式の日、彼女から愛を告白された時に断ったのは、別にそれが理由ではなかったが、あの時の判断はやはり正しかったのだと今は思う。
世の女性達はこぞって「男ってバカよね」と言うらしいが、そんなことはない。
『君は、僕にそんな話を聞かせるためにわざわざ?』
すると彼女は慌てて言った。
『違うの、駿河君って警察官でしょう?! 元彼に貸したお金を取り戻したいの!! そういうのって詐欺とかで訴えられないの?!』
駿河は呆れて何も言うことができなかった。
しばらく黙っていると、彼女は溜め息交じりに言った。
『駿河君って、中学の頃から少しも変わらないね。全然しゃべらないし、何を話しても無反応だし、つまらない男って言われたことない?』
『……』
『一緒にいると気を遣うばっかりで疲れるわ』
そっちが声をかけてきたんじゃないか。
言っても仕方ないと思い、駿河はやはり無言のままでいた。
森川紗代は立ち上がり、どこかに顔も良くてトークも上手い男っていないかしら、と独り呟きながら店を出て行った。
伝票はそのまま、飲食代は残されていなかった。




