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例えを使って

 何を言い出すのだろう? すると彼は淡々と続けた。

「まず、頭が病んでいる。心臓は弱っている。肝臓は沈黙している」

 肝臓とは専務のことだろうか?

 肝臓は沈黙の臓器だと言われる。

 その例えどおり、確かに彼は、ほとんどめったに自分の意見を言わない。言ってもムダだとあきらめているのだろうか。


「待て、頭が病んでいるだと? この俺が病気だとでもいうのか!」

 社長である伯父が叫んだ。

 しかし優作は怯むことなく、

「立派な病気だ。旅館が大変な時に朝から酒の臭いをさせて、こんな時間に重役出勤とはな。上に立つ人間がこれでは、従業員がついてくるはずがない。適当に手を抜いて給料だけ持っていく泥棒にとっては最高の温泉宿だがな。この帳簿はなんだ? あんたが穀潰し代表取締役か」

「き、貴様、黙って言わせておけば……!」

 美咲はハラハラしながら事態を見守ることしかできなかった。

「そうよ、名誉毀損だわ!!出るとこに出たっていいのよ?!」

 仲居頭の朋子が叫ぶ。

「そんな暇があるなら働け。いや、まずは酒を抜いてこい。実務をすべて部下に任せていて成り立つのは官公庁だけだ。『秘書が全部したことです』じゃ、通用せん」

 さすがの伯父も気圧されたようだ。

 すごすごと事務所を出ていく。


 事務所に残った朋子は、

「あんた誰!? 名前を教えなさい!」と、優作に詰め寄った。

 彼は溜め息をつくと、

「見たところ更年期も過ぎたオバさんに、今さらビジネスマナーを教えてやらなきゃならないのか? 女将、この旅館の従業員研修はどうなっている? ずいぶん、求人広告を出しているようだが」

 里美は少し怯えた様子で答える。

「それが……こちらの仲居頭の朋子さんにすべてお任せしているんですけど、新しい人が入ってもすぐに辞めてしまって……」

 だろうな、と再び溜め息。

「人に名前を聞く時はまず自分から名乗れ。そんな最低限の礼儀も知らない仲居に接客をやらせているのか? この旅館は。それじゃリピーターの客もつかないだろう。新人もそれでいいのかと思って倣うから、ますます客が離れていく。そうなると仕事がなくなる、つまらなくなる……他に仕事を探す。悪循環の源はあんただよ、オバさん。あんたが癌細胞だ」

「……」

 誰もが言葉を失った。


 美咲は今この場で行われた遣り取りを録音して、周に聞かせてやりたかった。

 少しクセの強い人間だとは聞いていたが予想以上だ。

「な、な……っ!!」

 朋子はすっかり顔色を失い、何か言おうとして口をパクパクさせている。

 しかし言葉が見つからなかったのか、あきらめたのか逃げるように事務所を出て行った。


 ふん、と若い会計士は鼻を鳴らして椅子に座り直す。

 一瞬の沈黙が全体に降りた後、ぷっと誰かが吹き出した。専務の松尾だ。

 長い間一緒に働いてきたが、美咲は彼が笑った顔を初めて見た。

「ははは、あんたすごいな! よく言った!!」

「俺は真実しか言っていない。それよりも、幾つか質問に答えてくれ」


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