エセ関西弁
事務所には女将と専務がいた。社長は今日も不在である。
二人とも予め事情を聞いていたようで、驚いたり戸惑ったりこそしなかったが、少し困った顔をしていた。
「女将、こちらが会計士の有村さん」美咲は二人に優作を紹介した。
「どうも、この度は……」
「挨拶は後でいい。とにかく、帳簿を見せてくれ」
周はぎょっとした。
この人は誰に対しても、こういう口のきき方なのだろうか?
「はい、あの……何時からのでしょう?」
女将がおずおずと尋ねる。
「問題のあった20年前からだ」
女将、専務、美咲の三人は顔を見合わせた。
「私、取ってくるわ。置いてある場所は変わっていないでしょう?」
美咲は急いで事務所を出た。
「じゃあ、優君。僕はこれから仕事だから本土に帰るけど……後は頼んだよ?」
和泉はぽん、と優作の肩に触れてから事務所を出て行く。
「俺も帰る」
周は和泉の後を追った。ここにいたって邪魔になるだけだ。
旅館の手伝いをしてもいいと思ったけれど女将が気を遣うだろう。
人件費を発生させるのは気が進まない。それに、猫達の面倒も見なければいけない。
旅館を出て二人で歩き始める。人の流れはほとんど、厳島神社か旅館、弥山方面へ向かっているのに、フェリー乗り場へ向かって歩いているのは和泉と周ぐらいだ。
「……今日、仕事だったのに……無理させてごめんなさい」
周が言うと和泉は笑って、
「無理じゃないよ。それにね、仕事ができる人は本来、今日は休める筈なんだ」
嘘だ。本当は自分達の為に余計な時間を割かなければならなくて、そのしわ寄せがきているに違いない。
この人の優しさにどこまで甘えていいのだろうか?
どう応えたらいいのだろう?
「ところで周君。さっきの外人さん、美咲さんに向かって、なぜか僕の名前を呼んでいたけど、何か知ってるよね?」
ぎくっ。
「えーと……あ、そうだ! 近道通って帰ろう?」
観光客の波を避け、フェリー乗り場に向かうことができる細い路地を教えてくれたのは姉だ。
古い民家がひしめき合うように立っている狭い道を歩いていると、向こうから料理人の白衣を着た中年男性が和泉を見て声をかけた。
「よぉ。あれから、浅井さんには会えたかい?」
「えぇ、おかげさまで」和泉の知り合いのようだ。
「偏屈なバアさんだろ?」
「まったくですよ。棺桶に両足を突っ込む前に洗いざらい口を割ってもらわないとね。冥土への土産は置いていってもらいます」
何の話だかわからないが口が悪い。
相手も苦笑している。
それじゃ、と再び歩き始めてしばらくすると、あまり舗装されていない道に出る。
背の高い雑草が生い茂る竹林で、夜は絶対に通りたくないところだ。
茂みからがさがさと音がした。
鹿だろうと思ったら、日本語が聞こえてきた。
和泉が足を止め、周もそれに倣う。
「どうして!? 潤さん!」若い男性の声。
ちらりと姿が見えた。
歌舞伎俳優の女形かと思うような優男で、和服を着ている。
そしてもう一人、スーツ姿の男。銀縁眼鏡で、どこか堅気ではない雰囲気を醸し出している。
「わかってください、私も辛いんですよ」
「嫌だ!」
「坊っちゃん!」痴話喧嘩か?
周がちらりと和泉の横顔を伺うと、彼はいつになく真剣な顔で黙っていた。少し怒ってるいるようにも見える。
「いいですか? あなたはこれからの白鴎館を背負っていく身です。社長なんですよ。上に立つ者は私情に流されては……」
すると和服の男は眼鏡の男の首に抱きついた。
「……そんな話なら聞きたく、ない……」
えらいもん見てしもた。
なぜか周は胸の内でエセ関西弁を使っていた。
行こう、わずかに聞き取れる小さな声で和泉は言い、唖然としている周の手を引っ張る。びっくりした。
そして結局、本土に戻って別れるまで、二人とも黙り込んだままでいた。




