あなたの街のタウンページ
賢司が帰宅しているなんてめずらしい。
きっと、パーティー会場から職場に戻るんだと思っていたのに。風呂場にいた周は2人が帰ってきていることに気付かずにいた。
「風呂、沸いてるよ」
ありがとう、と力なく笑って姉は台所に向かう。
その背中には何とも言えない哀愁が漂っている。
「……姉さん、何かあった?」
賢司が風呂に向かったのを確認した後、周は声をかけた。
「え……?」
「顔色悪いけど、大丈夫か?」
姉はややあって、泣き出しそうな顔で事の次第を話してくれた。
「……かんざし……?」
「周君、どこかで見なかった?」
全然気付かなかった。
周がそう答えると、美咲はそう……と、力ない返事をした。
なんとなくだけれど。あいつからもらったとか、そういう大切なものなんじゃないだろうか。
だとしたら兄が家にいる今、その話題は避けた方が良い。
「あのさ、姉さん。大事な話があるんだ……」
周は和泉の知り合いだという会計士に、一度旅館の経営状態を見てもらうことを検討していることを、美咲に話した。
しかし、姉の表情はあまり晴れなかった。
※※※※※※※※※※※※
待ち合わせは宮島口のフェリー乗り場前。
その日、本来は休日らしいが、休み返上でわざわざ尾道から宮島まで、タウンページと呼ばれた会計士、有村優作はやってきてくれた。
まだ随分若い。
大丈夫かな? と周が不安に思ったのは、その不機嫌極まりない表情のせいもある。
眉間に深く刻まれた皺、唇はへの字に結ばれていて、やっぱり無理を言ったせいかな……と申し訳ない気持ちになる。
「来てくれてありがとう、優君」
かくいう和泉も今日は時間を取って周達と一緒に来てくれた。
これから仕事なのだろうか、スーツにネクタイ姿である。
「紹介するね、彼が依頼人の藤江周君で、こちらがお姉さんの美咲さん。今回は彼のお姉さんの実家が経営する旅館を見てもらいたいんだ」
「初めまして、藤江周と言います。今回は無理を言ってすみません」
周はぺこりと頭を下げたが、ああ、と無愛想な返事があっただけ。
「……で、場所はどこだ?」
「宮島だって言ったじゃない」
何か怒ってるのかな?
周はちらりと和泉を見つめた。
「気にしなくていいよ、あの表情はデフォルトだから。子供の頃から、歯を見せて笑ったことがない」
和泉は言った。
子供の頃から知っているからなのか、弱味を握っているのは。
「それと寝不足かな? 機嫌が悪いのは。彼のところ、赤ちゃんが産まれたばかりで、夜泣きするんだよ。それで夜中に何度も起こされてね」
なんだかますます申し訳なくなった。
「でもね、困ってる人を助けたいっていう気持ちは本物だよ。ま、ご機嫌をとる方法も熟知してるから任せておいて」
和泉は笑う。
それにしても悪い笑顔だなぁ……。
ところで、姉は朝からひどく元気がなかった。
「姉さん、大丈夫?」
「え? あ、ごめんなさいね、ぼんやりしていて……」
美咲は無理をして微笑む。
「調子悪いなら家に帰った方が……」
「ううん、私の一大事だもの」
あ、フェリーが来たわよ、と美咲は周の腕を取って歩き出す。
痛々しいほどに元気なフリをしているのがわかる。




