きっとゴールドカード(年会費1万円)
何を買うのかと思えば新しいスーツだそうだ。
週明けから東京の本社へ出張らしい。
賢司はその辺りに吊り下げられている量販の既製品ではなく、オーダーメイドで、それも有名なブランドのかなり高価なものを惜しげもなくカードで購入した。
デパートの店員は愛想良く、上客にひたすら愛嬌を振りまいてくれた。
「君も何か欲しいものはないのかい?」
買い物を終えて夫は言った。
美咲は黙って首を振る。
「そうだ、近い内に田代先生のところのパーティーがあるんだった。君にも出席してもらうから、新しいドレスか着物を用意しよう。やはり和服がいいかな……」
田代先生とは地元の代議士である。藤江製薬と深いつながりのある政治家であり、資金パーティーの折りには必ず賢司が出席することになっており、時折美咲も参加を強要される。
以前は仕事が忙しいからと言い訳もできたけれど、今はそれもできない。
賢司は案内板を見、紳士服売り場よりも下の階に着物を扱うフロアがあるとわかると、すたすたと下りエスカレーターの方に歩き出した。美咲は慌てて後を追いかける。
そんなもの要らない。
でも、言えなかった。
和服を扱う売り場では比較的年嵩の女性が暇そうな顔で立っていた。
「すみませんが、彼女に似合うものを仕立ててもらえますか?」
店員の女性はにこっと笑って、
「御用向きはいかがです?」
「パーティーに出席するんです」
賢司が言うと店員はかしこまりました、と美咲を、売り場奥の畳が敷いてあるスペースに案内する。
それから何着か試した後、賢司がこれにします、と決めて購入した。
美咲は恐ろしくて値段を見なかった。
着物売り場を後にするとすぐ、正午をお知らせいたします、とデパートの館内放送が流れた。
「お腹、空いてる?」
美咲は首を横に振った。
食欲なんて少しもない。
一刻も早く家に帰りたい。
この人と一緒にいたくない。
「ここから少し移動するんだけどね、駅の近くにおいしい洋食屋さんがあるんだ。行ってみようよ」賢司は笑って言った。
デパートから駅までは再び路面電車に乗って移動することになる。
日曜日の今日は地元民に加えて観光客も多く、電車はひどく混雑している。
ふと美咲は、賢司の顔色が優れないことに気付いた。
「……ねぇ、気分でも悪いの?」
観光客は日本人だけではない。外国人はかなり強い匂いの香水を振りまいているし、同国民の若い女性達はテンション高く、きゃあきゃあと笑い合っている。
「大丈夫だよ」
「でも……」
夫の額には汗が浮かんでいる。
「大丈夫だって言っているんだ」
美咲は口を噤んだ。
その後乗客は入れ換わったものの、混雑ぶりと賑やかさはあまり変わらない。
隣に立っている賢司は、今にも吐くのではないかという顔をしている。
何を言っても無駄だ。
美咲は黙って彼の手をつかみ、彼を引っ張り次の駅で降りた。
「何を……」
電車を降りると賢司は彼女の手を振り払った。
「これからお昼ご飯を食べに行くのに、隣でそんな吐きそうな青い顔されたら食欲なくすわ。もう帰りましょう? 用事は済んだんでしょう。家に帰って少し休んでから……」
「だめだ」
美咲は溜め息をついた。
「だったら……タクシーにでも乗ればいいじゃない。あんな高いスーツや着物を一括で買えるぐらいなんだから」
そうだね、と賢司は力なく笑った。
「父が……好きだったんだよ、路面電車に乗るのがね」
どういうつもりだろう?
そう、とだけ答えておく。