意外と消極的
本当に良かったのだろうか?
縦社会の警察組織内で、仮にも先輩で階級が上の相手を殴って無傷で済むなんて。
すぐに謝罪はしておいたけど。
駿河は少し信じられない思いでいた。
所轄の刑事課にいた頃、いわゆるパワハラと言われる状況を見たことがある。
自分は直接被害に遭ってはいないが、駿河の同期の若手刑事が直面した。
加害者は刑事課の中でも割と悪名高い刑事であった。
その刑事は後輩が挙げた手柄は全部自分のものにし、逆にミスの責任は全部、他人に押し付けた。
先輩の言うことは絶対だと主張し、まったく仕事と関係のない雑用まで命じられ、休日にも呼び出しをくらうこともしばしばだったらしい。気に入らないことがあれば、理由もなく丸めたポスターで頭を叩かれたり、同僚の前で家族や恋人の悪口を大きな声で言われたりしたこともあった。
ある日、とうとう耐えかねた彼は職場でその先輩刑事を殴ってしまった。
署内は騒然となり、やっとのことで改善が計られた。
加害者は諭旨免職、手を挙げてしまった若い刑事は異動となった。
県内で最も暇と言われる山奥の村での交番勤務。
夢を持って刑事になったのに、と駿河は少なからず同情したが、その年に彼から届いた年賀状には、家族の写真と共に、今はとても楽しいという一文があった。
あのまま刑事を続けていたらきっとこんな気持ちにはなれなかった。
家族と一緒に過ごせる時間がたくさんあって、豊かな自然の中で季節の移り変わりを感じられる。
村の人達は皆親切で、駐在さんと呼んで声をかけてくれる。
あの日、怒りに任せて先輩を殴ってしまって後悔しているけれど、結果的に今があって良かったと思っている。
それでもどんな理由だろうと暴力が、殺人が許される訳はない。
そのことを他人に諭すべき自分が……。
やたらに声が大きいだけで、まったく中身のない政治家の主張を聞き流しながら、駿河はぼんやりとそんなことを考えていた。
それにしても、和泉はいったい何を考えているのだろう。
美咲の父親が仮に横領犯ではなかったとしても、今さらどうなるというのだ。それで旅館の経営が建て直される訳でもない。
彼女の不名誉がそそがれるだけだ。
それはそれで大切なことだし、それで彼女の気持ちが救われるなら……。
そこか、と駿河は思った。
もう、どう頑張ったところで美咲とは結ばれることができない。
これほど愛せる女性に会うことなんて二度とないだろうと思っていたから、自分はすっかり何もかもあきらめかけていた。
もしかしたら、美咲には和泉のような男の方が相応しいのかもしれない。
自分で出した結論に落ち込む。
気が付いたらいつの間にか、つまらないスピーチは終わっていたようだ。
再び会場がざわめきだす。
ふと駿河の目に金髪が飛び込んできた。外国人とはめずらしい。
エメラルドグリーンのドレスにレースのショール。彼女はカクテルグラスを手にどこかへ歩いていく。
駿河は思わず目だけで彼女を追い、そして驚いた。
美咲がいた。
2人は親しげに何か会話をしながら、笑っている。
なぜだ? と考えてすぐに気付く。彼女の夫は地元のみならず、全国的に有名な大企業の幹部だ。こういった政治家の資金集めパーティーには当然顔を出すだろう。
美咲はこちらに気付いていない。
このまま帰ろう。
とりあえず挨拶をしておくよう命じられた人物には一通り挨拶したはずだ。
駿河は携帯電話を取り出し、時間を確認した。




