意外とそんなものかも
「……彰彦さん、私……」
「わかってると思うけど、今夜は当番だから、あまり長い間不在にする訳にはいかないんだよ。用件だけ手短に話してくれる?」
しかし静香は彼の言うことなどまるで聞いていない。
自分の世界に入り込んでしまっている。
その表情はまるで、長い間引き離されていた愛する人に再会できたヒロインそのもののようだ。
「会いたかったの、ずっと……!」
あぁ、はいはい。
僕の方はこっから先も会いたくなんてなかったよ。
胸の内ではそう呟くが口には出さない。
顔には出ているかもしれないが。
「あれからいろいろ考えて、それで……」
適当な他の男が見つからなかったから、とりあえず元の鞘に収まろうってか?
冗談じゃない。
「もう仕事に戻っていい? 当番なんだよ」
まだ何か言いかけた静香だったが、和泉が『仕事』の単語を口にした途端に豹変した。
「あなたって、いつもそう! 仕事、仕事って……!! どうしてそうなの?!」
「……それが気に入らなかったから、別れたんだろう?」
「……」
「僕は仕事が大切だ。聡さんのことが、今の仲間達のことが好きで、悪いけどそれ以外のことは考える余裕がない。用件がそれだけなら僕は戻るよ。それと、聡さんのところに押しかけるのはやめてくれないか。本当に迷惑だから」
和泉は元妻に背を向けた。
振り返らなくても今、彼女がどんな顔をしているかわかる。
例えは悪いかもしれないが般若のような形相だろう。
「彰彦さん!!」
刑事部屋はビルの3階にある。
和泉は階段に向かって歩き出した。
「なんで、あなたっていつもそうなの?! 私だっていろいろ話したいことがあるのに、ちっとも聞いてくれなかったわ!」
足を止める。
その点だけは和泉も少しだけ、反省している。
正直なところ彼女の話をまともに聞こうとしたことはない。
どうせ誰かの悪口か、くだらない自慢話かのどちらかだろう、と頭から決めてかかっていた。
「私はあなたの為に、一生懸命いろいろ努力してきたわよ!!」
「……たとえば?」
振り返って訊ねると静香は途端、言葉に詰まる。
彼女はいつもそうだった。私はあなたの為にいろいろ頑張った、これだけのことをしてきた。
そう主張はするものの、具体的な例示はほとんどない。
和泉としては彼女に何かしてもらった、という記憶は薄い。
強いて言うなら、自分が働いて稼いできた金を浪費された、というぐらいだろうか。
和泉の母親が入院している間も、母の様子を見に行ってくれたことなんて、片手で数えるぐらいしかない。
母は息子の嫁について何もコメントしたことはない。
ただ、最後まで心配してはいた。
本当にお互い愛情があって結婚したのかどうか、と、それだけを。
和泉が彼女に恩義を感じるとしたら、今の階級まで引き揚げてもらうのに役立ったことぐらいだろうか。
それだって彼女自身が何か努力した訳ではないけれど。
「何も思いつかないんだったら、するだけ無駄な論議だよ。じゃあね」
「待ってよ……!!」
思いがけないスピードで追いかけてきた静香は、和泉のワイシャツの袖をつかむ。
「ねぇ、何なの? あの子」
「あの子……?」
「小生意気な高校生ぐらいの男の子! どうして、あなたの背広を持ってたのよ?!」
周と会ったのか。
それはそうだろう。あれだけ、毎日のように家を訪ねていたら……。
この時ばかりは、和泉は余計なことは言わないでおいた。
「君には関係ない。だいたい、こんな話こんなところですることじゃないだろう。必要な書類は既に役所へ提出済だ。今さら離婚協議をしたいんだったとしたら、冗談じゃない。こっちは仕事で忙しいんだよ」
じゃ、と和泉は今度こそ元妻に背を向ける。
「……このままじゃ絶対、終わらせないんだから……!」
彼は足を止め、首だけ振り向いた。
「……僕の大切な人達に何かしたら、こっちだってただじゃおかない」
そう言い残した後、和泉は二度と振り返らなかった。




