ずっと待ってるから
はぁ……結衣は溜め息をついた。
「ちょっと、私が作業してる横で、溜め息つくのやめてくれない?」
事件直後は刑事もだが、鑑識だって目が回るほど忙しい。
それでも少し時間の隙を見つけた結衣は、どうしても友人である郁美に話を聞いて欲しくて、鑑識課の部屋を訪ねたのであった。
郁美はいらだたしそうにキーを打っている。
「愛って……ものすごく深いのね」
「はい?」
三村亜沙子から関わる全ての事情を聞いた結衣は、なんとコメントしていいものかまったくわからなかった。
「何よ。あんた、どこかで頭でも打った?」
「心を打たれたのよ……」
郁美は肩を竦めた。
『進一君が何を思って【被害者の会】を結成したのかは……たぶん、アレックスが殺されたことが判明した時、彼女達が警察から疑われないようにするためです。全員にアリバイを作らせるため。彼は本当に優しい人なんです。思いやりがあって。ただ、私だけは……殺害予定の日時を知らせられませんでした』
『どうして、でしょうか?』
『彼はもしかしたら、可奈子が亡くなった原因が、私にもあると考えていたのかもしれません……遺書とは別に、そんなようなことが書かれた手紙を受け取ったと、彼から聞いたことがあります』
『どんな内容だったのですか?』
『私が彼女を虐げ、召使いのように扱ってきた……と』
それが事実かどうだったかは、誰にもわからないだろう。もしかすると可奈子の被害妄想だったのかもしれないし。
『事件の一報を聞いた私は、すぐに警察の人が話を聞きに来るだろうと思っていました。被害届を出したのは……警察の人と顔見知りになれば、上手くすればその人を通じて偽の情報を流して、捜査を混乱させられるんじゃないかって考えたからです』
もっとも、ただの素人の浅はかな考えですけど。
そう言って彼女は苦笑した。
『その後、私が考えたのはただひたすら……進一君を守ることだけでした。でも、どこからどう情報が漏れたのか知りませんが、ジャーナリストを名乗る男が私のところへやってきて、進一君やアレックスとの関係を根掘り葉掘り聞いてきたんです。それから……その男の知人だと言う警察官も、私のところへやってきました』
『それが、影山……』
はい、と亜沙子は頷く。
『捜査に参加している現役の刑事と聞いて、私はその人を利用することを考えつきました。情報を買ったんです……』
捜査本部が西島進一に目をつけて、上から圧力がかかるまで、ほとんど時間がかからなかったのは、そういう理由か。
『あの刑事、私が少し色目を使ったら気を良くして……ペラペラと大切な情報をいくらでも漏らしてくれました。もしかしたら向こうも、本当は事件のことなんてどうでも良かったんじゃないでしょうか』
それから三村亜沙子は、新里というピアニストに向かって言った。
『宏樹さん、私はこういう女なの。よくわかったでしょう? あなたが思うほど立派でもなければ、綺麗な人間でもないの。身も心も穢れきった……』
『……刑事さん、彼女はいったいどういう罪に問われるのでしょうか?』
彼は結衣にそう訊ねてきた。
『……おそらく、偽証か……犯人隠匿……』
『どれぐらいの重さでしょうか?』
『それは……はっきりとは。でも、彼女の場合は情状酌量の余地が充分にあります』
しばらくいろいろと考えていたピアニストはしかし、首を横に振る。
亜沙子、と彼は声をかけた。
『俺は君の外見に惚れた訳でも、家柄に魅かれた訳でもない。ただ、君と君の演奏するバイオリンの音色に……たとえようもないほど心を動かされた。それだけなんだ』
『……』
『俺のピアノに合わせられるのは、君のバイオリンしかない。何もかも全てをひっくるめて……君のことを好きになったから。だから、待っている』
『……お祖父ちゃんになっちゃうわよ?』
『それでもいいんだ。亜沙子、これからもずっと……一緒に音楽をやっていって欲しい』
あんなふうに言ってくれる男性に出会えた彼女はきっと、間違いなくこれから先も幸福に生きていけることだろう。
正直、羨ましいと思った。
「ねぇ、郁美。和泉さんのことが好き?」
郁美は飲みかけのお茶を吹き出しそうな顔をした。
「な、な、何なのよ?! いきなり!!」
「なんとなく」
たぶん。ただちょっとカッコいいから、ちょっと優しくしてもらったから、という『恋心』だけではダメだ。
あの人にはたぶん、結衣には理解できない、深いところにある本音が隠されているに違いない。
その【本音】を引き出すほどの、強くて深い『愛』がなければきっと……。




