今度こそ、さようなら
周達はなかなか外に出てこない。
ホール全体の見取り図は頭に入っている。いわゆるVIP専用席に向けた通路も位置はチェックしてある。
本日午後5時過ぎのことだ。
関わるいろいろな事情を聴取した上で、聡介は判断を下した。
西島進一を任意で引っ張ると。
上を説得するのは後でいい。とにかく、まずは身柄の確保だ。
和泉は今日、彼が周と共にこのコンサートホールに来ることを知っていたので、ずっと柱の影に身を潜めて彼らが出てくるのを待っていた。
欲を言えばもう少し人員が欲しいところだ。
言っても仕方ないことを考えて溜め息をつきかけた時、思いがけないところから、予想もしなかった相手から声がかかった。
「彰彦さん!?」
気のせいか?
今、別れた妻の声がしたような気がしたが。
「やっぱり彰彦さん! どうしたの? こんなところで会うなんて……」
このバカ女!! 和泉は声に出さず、胸の内で毒を吐いた。
「ねぇ、何してるの? もう終わっちゃったわよ。あ、もしかして……私のことを待っていてくれたの?! 良かった、話したいことがあったのよ……!!」
こちらの都合などお構いなしに、本間静香は和泉の腕に抱きついてくる。
まぁ、いい。
カップルのフリをしてさりげなさを装った方が警戒されなくて済むかもしれない。
咄嗟にそう計算した和泉は、にこっと静香に微笑みかける。
「仕事中なんだ、少し静かにしていてもらえる?」
西島進一も周もまだ姿は見えない。
『仕事』の単語を聞いた途端に、元妻の顔がゆがむ。
何か言おうとして口を開きかけた彼女はしかし、なぜか急に黙り込んだ。
和泉は彼女の視線の先を追った。
西島進一だ。周も一緒にいる。
「あの子って……確か……」
「知っているの?」
「西島先生のところのご子息でしょう? それと一緒にいるあの男の子……宮島でも見たわ、確か」
「宮島って、あの……君がバカな真似をしたあの日のこと?」
刃物を持って美咲に斬りかかり、ビアンカに怪我をさせたあの時のことだ。
「バ……!!」
大声を出されてはかなわない。和泉は急いで静香の口を手で塞いだ。
暴れる彼女を抑えつけ、視線だけで進一と周の様子を追う。
『葵ちゃん? いたよ。今、向かってるのはたぶん……楽屋だと思うから、そっちに気をつけて』
小型無線機で仲間と連絡を取ると『了解』との返事。
後は任せて、少し目の前の面倒事を解消しよう。
和泉は手を放した。
あーあ、掌に口紅がついた。どこで拭おう。
彼女が羽織っている白い上着に擦りつけたら、きっと火がついたように怒るだろうな。
「とりあえず聞いてみるけど、何か見たの?」
「西島先生のご子息が、何だか知らないけど紅葉谷公園で献花していたのよ。黄色い花束なんて珍しいなって思って」
「ふーん……」
「何か役に立った?」
和泉はそれに答えず、
「あれから、ちゃんとビアンカさんに謝ったそうだね?」
すると彼女は悔しそうに表情を歪めた。
「何なのよ!! 相手がそういう立場の人間だってわかっていたら、私だって、初めからあんなことしなかったわよ!!」
「……じゃあ、もし彼女がただの……たとえば、ごく平凡な一般市民だったとしたら……君はあのまま謝罪もしないつもりだった?」
「どうして私が謝らなきゃいけないの?!」
和泉は意識して深呼吸した。
「……世の中にはどうしたって、解り合えない人間がいるものだね」
「彰彦さん……?」
静香が伸ばした手を、和泉は振り払った。
「僕は君に相応しくなかった。もう二度と会うこともないだろうけど、元気でね」
「待ってよ、待っ……!!」
和服を着ている静香は走り出そうとしてつまずいた。小さな悲鳴。
和泉は決して振り返らなかった。




