状況証拠に至るまで
「……あなたも、そうだったのではありませんか?」
ずばり核心を言い当てられ、ビアンカは口を噤んだ。
「そりゃ、まさかと思ったことはあったわ。でも、あの子はそんなことしない。小さな頃から知っているもの。虫も殺せない優しい子なのよ」
「……人は、いろいろな経験を通して変わるものです。そしてビアンカさん、あなたは今『まさかと思ったことがある』と、おっしゃいましたね?」
そんなこと言っていない、ととぼけても無駄だとビアンカは悟った。
「心当たりがあるのですね? 彼がアレックス氏に対し、恨みを抱く動機について」
警察はどこまで調べているのだろう?
もしかして既に、ドイツまで行ってきたのだろうか。
「可奈子という女性をご存知ですね? そして、バイオリニストの三村亜沙子。あなたの知っていることを話してください」
どうしよう。
どう答えたらいいのだろう。
隣のベッドに寝ていた老婦人が言っていたことを思い出す。
『それはとても辛いこと』だと。
重い罪について知っていることを隠すこと。
それは自分が考えていたよりもずっと、辛いことだった。
「……もう、いいじゃない。仮に警察が進一のことを疑ったりしたら、彼のお父様が黙っていないわ」
「ええ、そうです。通り魔による犯行などという、一番あり得ない方向へねじ曲げたのは彼の祖父です」
ああ、そうか。
彼の祖父は代議士だ。警察に圧力をかけるなんていうこと、造作もないだろう。
「あなたはそのことを正しいと考えますか? ビアンカさん」
肯定する訳がない。相手もわかっていて、そう訊ねてくる。
「私は、刑事じゃないもの」
「いいえ、そうではなく人間として、です」
「……」
「あなたは我々と違う。金色の髪に、蒼い瞳。それでも流れる血は同じ赤であり、同じ人間です。あなたに怪我をさせた相手は、父親の立場をかさに、謝罪に来ようともしなかった。たまたまあなたのご親族の関係で、無難に解決しました。でも、決してあなたは納得した訳ではありませんよね? むしろ、余計に気分を害されたはずだ」
彼の言う通りだ。
今でもあの時のことを思い出すと、胸がムカつく。
自分は何も悪いことをしていないのに、どうして頭を下げなくてはいけないの?
彼女の顔にははっきりそう書いてあった。
相手がどこの馬の骨ともわからないような人間なら、こんな悔しい思いをしなくて済んだのに。
どこまでも性根の腐った人間だ。
ビアンカは怒りを通り越して、もはや呆れるしかなかった。
「その気持ちがわかるあなたにもきっと、我々の気持ちはわかるはずです。何が正しくて、間違っているか、俺が決めることではありません。ただ、あなたの良心の声に聞き従ってください」
『違う、そうじゃない! 何度言ったらわかるんだ!!』
『もういい、お前には何も期待しないよ』
『お父さんが偉い人だと、自分も偉くなった気がしてるのかしらね?』
『なんか気持ち悪い。お人形みたいで。感情があるのかしら、何を言っても傷つかないんじゃないかしら』
『あなたに何がわかるっていうのよ!? あんたや亜沙子は、誰も文句のつけようのない美人だわ!! でも、私はそうじゃない……!!』
『だって、向こうから寄ってくるものを拒むのは失礼というものじゃないか。せっかく日本で暮らしているんだから、君ももう少し【ヤマトナデシコ】なるものを研究して、もう少しぐらい優しい女性になる努力をしたらどうだ。そうすれば君にだってきっと、他の男が寄ってくるよ』
『あいつに、生きてる価値なんてない』
『可奈子のために。彼女はそれを望んでいるのだから……』
頭の中で様々な人の、様々な台詞が甦る。
ぐるぐる。
「ビアンカさん、ビアンカさん?!」
声が聞こえる。
温かい手が肩に触れる。
あの日。
あんな男でも、決して憎み切れなかったから。
決別の意味を込めて花を供えに行った。被害者達の内の誰が彼を殺したのだろう? そんなことを考えながら。
もう誰だっていい。
警察は通り魔の犯行だって言ってるんだから、それでいいじゃないの。
でも……本当にそれでいいの?




