レディファースト
ドキドキ、と心臓が嫌な音を立てる。
好きな人に会った時のようなときめきではない。
ただただ、何か叱られるであろう時の気まずい感情。あれと同じだ。
子供の頃、ほんの悪戯心で父親から買ってもらった楽器を壊したことがある。
それが見つかった時の彼の反応を思い出させる、そんな背中だった。
狭い階段を上ると和室があり、前を歩く刑事は襖を開けて、どうぞと手を差し出す。
日本人男性にもこういうことができる人がいるのね、とビアンカは少し驚く。
「……それで、私に訊きたいことってなぁに?」
座布団の上に腰をおろし、あくまでさりげないふうを装う。
「……あなたはまだ、我々に話していない事実をいろいろと知っている。そうですね?」
何が判明したのだろう?
頭の中でいろいろと思いめぐらしてみる。
「まぁそれは、いくらかあるわよ。プライベートなことを、聞かれてもいないのにペラペラ話す趣味はないもの……」
やや早口だったかもしれない。すると彼は、
「アレックス氏の詐欺被害に遭った女性達を探していましたね?」
ぎく、と身体が震えたのが自分でもわかった。
誰が話したのだろう?
このことは警察が話を聞きに来ても、絶対に話すなと言ってあるのに。
「詐欺被害に遭った女性達を探して、謝罪に回ったそうですね。西島進一と共に。なぜです? 婚約は破棄なさったのでしょう。あなたは無関係、知らぬ存ぜぬを貫けたはずだ」
襖が空いて、おしぼりと温かいお茶が運ばれてくる。
ビアンカはそれを受け取り、座卓の上に置いた。
「それは、あくまでも人道的な見地から……」
「そうでしょう、それはとても立派なことだと思います。あなたには頭が下がるばかりです」
この人はきっと、本気でそう言ってくれている。
そのことがわかったビアンカは思わず涙ぐんだ。
「でも、被害に遭った女性達は……そうは思いません。中には私がアレックスを操って、彼を利用したと誤解する人までいました。それに。被害者を探しだしてできるだけのことはしようと、最初に言い出したのは、進一の方です。私も彼の考えに賛成しました」
もしやこの刑事は、進一や自分を疑っているのだろうか?
温厚で優しそうなこの男性は。
「それが彼女への、彼女達への償いになれば……だから私、アレックスが殺されたって聞いた時、誰のことを話してもきっと詐欺被害にあった誰かが疑われてしまう。そう思いました。まだ償いは済んでいません。私はこんな終わり方、納得できません……」
待ってください、と刑事は手を伸ばす。
「西島進一はなぜ、そんなことを始めようと思ったのでしょうか?」
「……それは……」
どうしよう。
あのことを話すべきかどうか。判断がつかない。
すると刑事はいきなり質問を変えます、と言った。
「誰が、アレックス氏を殺したのでしょうか?」
「……通り魔でしょう? 警察は公式にそう発表したじゃない」
思わず語気を強めてしまう。
「私は、そうは考えていません。ですから勝手に事件を追っています」
そんなことわかってるわ。
ビアンカは無理矢理言葉を飲み込んだ。
刑事はおしぼりで手を拭きながら、それでも視線はずっと外さない。
「被害者が殺害された状況から考えるに……犯人は相当強い恨みを持っていたと考えられます。何度も殴りつけ、足蹴にし、最後に刃物を突き立てました。傷口の形状からして、恐らく男性の仕業です。となると、いったい誰が? 誰かとても大切な女性が……詐欺の被害に遭った、その復讐ではないか。そして……被害者が亡くなる直前まで一緒にいたのは、西島進一氏でした」
ビアンカは思わず腰を浮かせた。
「進一を疑うの?!」




