無理言うな
三村亜沙子と会う約束をしている時間まで、もう少し余裕がある。
和泉は欠伸を噛み殺しながら、
「聡さん、ちょっと着替えを取りに戻りますね。聡さんの分も持って来ますか?」
「ああ、頼む」
もうしばらくは本部に泊まり込みで仕事をする羽目になるだろう。
今、何時だっけ?
ふと時計を見た。まだ午前7時を少し過ぎたぐらいである。
半分寝ぼけながら自宅……と言っても、居候先に向かう。荷物をまとめながら早朝のことを思い出したら、段々とムカついてきた。
あれから賊が襲ってくることはなかったし、張り込みを続けてもこれと言った変化は生じなかった。
それはいい。
だが。
なぜ、朝になって西島進一の家から周が出てきたのか。
家庭教師と称して進一が周に近づいていたのは知っている。しかし、なんだかあまりにも親しすぎないか?
またあの男が何か企んでいるのか?!
あれこれ考えているうちにイライラが頂点に達した和泉は、荷物を手に玄関を出て、隣家のドアチャイムを鳴らそうとした。
この時間に、インターフォンを連打したら嫌がらせ以外の何でもない。
もし周が寝ていたら……と少し躊躇した時、思いがけず内側から扉が空いて、普段着姿の藤江賢司が姿をあらわした。
手にゴミ袋を持っている。
もしかして美咲は不在なのだろうか。
「……おはようございます」
和泉は思い切り顔に不快感をあらわし、それでも挨拶はした。
どうやら寝起きが悪いらしい相手は、眉間にしわを寄せて目を細め、誰だろかと検分しているようだ。
「ああ、おはようございます……」
ゴミを出して戻ってくる頃には、もう少し頭もハッキリしていることだろう。
和泉は玄関の前で彼を待った。
戻ってきた彼は和泉に気付くと、面白くなさそうな顔で、
「なんですか?」と、つっけんどんな口調で訊ねてくる。
相変わらず手にごみ袋を持っているあたり、今日は回収日ではなかったことに気付いたらしい。
「いろいろと、お訊きしたいことがありましてね」
「……もう少し、後にしていただけませんか?」
こちらの返事を待たずに中へ入ろうとする賢司の腕を、和泉はつかんだ。
案の定、嫌そうな顔で振り返られるが知ったことではない。
むしろざまぁみろ、だ。
和泉は思わず笑顔になってしまった。ぱっと手を離す。
「西島進一について、知っていることを全部話してください」
賢司は和泉の方に身体を向けると、
「ほとんどありませんよ。彼が幼かった頃に、同じ音楽教室に通ったことがあるぐらいです。祖父同士は親しくしていたようですが」
「……真実だと言いきれますか?」
わざと挑発するような言い方をすると、彼はごみ袋を玄関先に下ろした。
「どういう意味です?」
「……あなたは今回の事件に、何一つ絡んでいないと言い切れますか?」
しばらく、無言の睨み合いが続いた。先に目を逸らしたのは賢司の方だ。
「……なんの話ですか」
おおかた警察を呼びますよ、とでも言いたいところだろうが、残念ながら『警察』ならここにいる。
「僕が何も知らないと思っていたら、大きな間違いですよ。ちゃんと把握していますよ、藤江賢司さん。あなたが今までしてきた、犯罪すれすれ幾つかの事案をね」
すると賢司は片頬を歪めるような笑い方をした。
「ずいぶんとおかしな、それでいて意味のわからないことをおっしゃいますね」
和泉も同じ笑い方をしてみせる。
「日本語で話しているつもりですけどね?」
相手は笑いを引っ込めた。
「……あなたの望みはいったい何ですか? 和泉さん」
「僕の望み……それは、周君と美咲さんが平穏無事な生活を送ることです」
賢司は再び嘲笑を顔に浮かべる。
「あなたと関わっていたら、一生無理だと思いますよ?」
「まぁ、そんな気もします」
和泉の答えが意外だったのか、2人の間に、少しの間沈黙が降りた。
「それにしても……ずいぶん、美咲と周に肩入れなさるんですね。いったい、何が狙いですか? あなたもまさか、僕の妻に好意を持っておられるのですか?」
「好感度は高いですよ、かなりね」
「……だからですか? 僕にあれこれと難癖をつけて、いっそ離婚に至ればいいとお考えですか? そうすれば……」
「仮にあなたが美咲さんとお別れなさっても、僕は彼女に手を出すつもりはありません」
賢司は怪訝そうな顔をする。
「先ほどの回答は、訂正させていただきます。僕の願いは……周君……」
「周が、なんです?」
「僕がお嫁に欲しいのは、周君です。弟さんを僕にください!!」




