猫に向かって独り言
今日は久しぶりに一人きりだ。
美咲が嬉しそうに、今日は旅館の仕事を手伝えることになったと連絡した時は、周も一緒に喜んだのだが、ふと気が付いたら一人きりになってしまうということだ。
今までまったく経験がない訳じゃないし、寂しいなんて……猫達だっているし。
だけど。
インターフォンが鳴った瞬間に思わず明日の予習をしている手を止め、急いで玄関に向かう周の姿があった。
「どちら様ですか?」ドアスコープを覗くと、昨日隣の部屋の前に立っていた女性が見えた。
「あの、私……本間静香といいます」
誰だ? 不思議に思いながら周は玄関のドアを開けた。
正面から顔を見ると、性格のキツそうな女性だなと思った。
「お願いがあります。和泉が帰ってきたことに気づいたら、私までご連絡をいただけないでしょうか?」
へっ? 周はつい、妙な声を出してしまった。
私の連絡先です、とメモ用紙を渡される。携帯番号とメールアドレスが書いてあった。
「あなたのお名前は?」
答えなきゃ許さないわよ、と言わんばかりの気迫だ。
思わず周は、
「藤江……です」
「じゃあ、よろしくお願いします!」
女性はさっさと立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
周はサンダルをつっかけて外に出た。メイが一緒に飛び出してくる。
「和泉さんといったい、どういう関係なんですか?」
「……」
「それがわからないと、和泉さんが帰って来たからって連絡する訳にはいきません」
メイは本間静香と名乗った女性の足元をくんくんと嗅いでいる。それから彼女の足にすりすりと身体を擦りつけようとした。
「嫌だ、猫!」
女性は飛びのく。
周はすみません、とメイを抱き上げた。
「……妻です、和泉の」
再び、妙な声を出してしまう。
でも名字が……ああそうか、別れたから旧姓に戻ったということか。
それじゃ、と女性は走り去って行った。
「なぁ、聞いた? 奥さんだって、和泉さんの」
周はメイに話しかけた。
「って言っても、元だよな? 今さら何の用だろう……」
猫が返事をする訳もなく、周はひたすら独り言を呟く。
「慰謝料の支払いが滞ってるからさっさと払えとか? つーか、離婚の原因ってなんだったんだろう……」
気になって仕方なくなってしまった。
それから、どうしようと悩んでしまう。
さっきの女性は、周が和泉とどの程度の知り合いなのかなんて知らないだろう。
あくまで彼の姿を見かけたら連絡して欲しいというニュアンスだった。
「別に俺からあえて、和泉さんに連絡しなくてもいいよな?」
猫は知るか、と言わんばかりにぴょいとどこかへ走って行く。
ああ、でも高岡さんには言っといた方がいいかな……?
なんだかモヤモヤする。
周は頭を左右に振って勉強を再開することにした。
右向きの顔を書くのは、本当に難しい……。




