新入りさん
ビアンカのために見舞いの花束とヒマ潰し用の雑誌、それから洋菓子をいくらか購入し、美咲は彼女の病室に向かった。
歩きながら美咲はふと、仲居頭だった朋子のことを思い出した。
伯父は今日、必ず彼女の接見に行くと言っていたが……。
収容されているのは廿日市南署。本土にある宮島口駅からほど近い場所にある。
廿日市南署と言えば、かつて駿河が所属していた所轄だ。
美咲が重い溜め息をついていると、
「美咲!」と、向かいから明るい声が聞こえた。ビアンカだ。
「来てくれたの? ありがとう~、もう退屈しちゃって……」
彼女の場合は怪我をしただけで、別に他は悪いところがないのだから、それは退屈だろう。
おそらく、元々外に出て動き回るのが好きなタイプに違いない。
「ねぇ、お茶飲みに行きましょう? ここの喫茶コーナーのコーヒー、なかなか美味しいのよ」
ビアンカは美咲の返事を待たずに、ぐいぐいと腕を引っ張って歩きだす。
コーヒーとケーキを購入して席に着き、ひとしきり世間話に始まり、それからふと思い出したようにビアンカは言った。
「アレックスの事件、あれからどうなったか知ってる……?」
「……ニュースでは、通り魔による衝動的な犯行ってことになってるわ」
美咲はそれ以上の情報を知らない。
そう、と呟いた友人の表情はどこか、安心したかのように見えた。
「ねぇ、さっきテレビ見てたら、福島屋で来週北海道物産展やるんですって!」
美咲が怪訝に思ったのを感じ取ったのか、ビアンカは早口でまくし立てた。
それから、アレックスの事件の話は一切出なかった。
ビアンカは話題に尽きることがない。
ただ頷きつつ、彼女の話を聞いているうちに昼近くなった。
「あ、戻らないと! もうすぐお昼ご飯の時間なんだわ」
時計を見てビアンカが立ち上がる。美咲は病室まで彼女に付き添い、それから帰ろうと思った。
廿日市南署に立ち寄って。
病室に戻ると、4人部屋の一番奥に患者が横たわっていた。
「あら、新入りさんだわ」と、ビアンカが笑う。
後ろ姿だけ見ると、かなりの年配者であろうことがわかる。
入ってきた看護師が、
「はーい、浅井さん。お食事の時間ですよ」
患者はむくりと起き上がる。
その横顔を見て、美咲は思わずあっ、と声を上げてしまった。
「浅井先生……浅井梅子先生じゃありませんか?!」
それは美咲が中学生の頃、三年間担任だった教師である。美咲が通った中学校は一クラスのみ。教師の数も限られていた。
この先生は小学生の頃の教師たちと違って、美咲を公平に扱ってくれた。
中学を卒業した後、彼女は転勤で本土のどこかへ移った。
定年退職後は宮島に戻ったと聞いていたが、文字通り隠居生活をしていたため、まったくと言っていいほど接触はなかった。
年に何度か行われる祭りの際も、冠婚葬祭でさえも、姿を見たことがない。
彼女は生まれも育ちも宮島であり、島のことなら知らないものは何もないそうだ。
もっともそれは、美咲達が小さかった頃の話に限られるようだが。
すっかり歳を重ねてしまったようだが、一目見てすぐにピンと来た。
相手は美咲の方を向くと、初めは思い出せないようで怪訝な顔をしていたが、やがて思い出してくれたらしい。
「美咲……寒河江美咲か?!」
「そうです! お久しぶりです!!」
美咲は駆け寄って、皺だらけの元担任教師の手を握り締めた。
「すっかり大人になって……綺麗になったのぅ……」
梅子先生は微笑んでくれる。
「先生、今までどうなさってたんですか? 島にお帰りになったってお聞きしていたのに、今までちっともお姿を見かけなかったから……」
すると元、担任教師は複雑な表情を浮かべた。
「まぁ、いろいろあってのぅ……」
あまり答えたくなさそうだ、と美咲は思った。詮索はするまい。
「美咲、知り合いなの?」
ビアンカがこそっと訊ねる。
「ええ。私の中学時代の、担任の先生なの」
人懐っこく、およそ人見知りという単語とは縁の遠いビアンカは上手な日本語で梅子先生に挨拶をした。
金髪碧眼の外国人から話しかけられた元教師は、目をぱちくりさせながら、それでも挨拶を返してくれた。
それから2人がすっかり馴染んだのを見届けた後、美咲は病院を後にした。




