お坊っちゃまの逆襲
駿河は廿日市南署への道のりを急いでいた。
つい今朝がたのことだ。廊下を歩いていたところ、向かいから、両脇を女性警官に挟まれ、取調室へ向かって歩いている容疑者を見かけた。
どこかで見た顔だな、と思った。
そうして、思い出した。
米島朋子。美咲の実家が経営する旅館で働く、仲居頭ではないか。
いったい何が起きたというのか。
彼女のことは、部外者である駿河さえよく知っている。
めったに弱音も愚痴も言わない美咲の口から、唯一聞いたことのある、苦手だという相手……。
駿河は迷いなく、かつて自分の職場だった刑事課へ向かった。
毎度のことながら所轄の刑事課はざわめいている。大なり小なり日々様々な事件が持ち込まれ、刑事達は電話で、または窓口で直接、大きな声で話し合っている。
駿河はその中に、一番話しやすい相手である竹内という刑事を探した。
年齢は相手が少し上で、階級は同じ。
竹内さん、と声をかけると彼は振り返った。
「お忙しいところ申し訳ありませんが、少しお訊ねしたいことがあります」
しかし。
「悪いけど、ほんとにこっちも忙しいんだよ」
返事はそれだけだった。
明らかに会話を拒まれている。しかし無理強いはできない。
所轄の刑事がどれほど忙しいかぐらい、よくわかっているつもりだ。
駿河はすみません、と言い残して廊下に出た。すると。
「……よぉ。何か忘れ物か?」
端正な顔に嫌な笑顔を浮かべながら、そう声をかけて来たのは影山である。
捜査本部が解散すると聞いて、一瞬だけだが、この男ともう顔を合わせなくて済むと考えた時点でホッとしたものだ。
「残念だったなぁ? 本部は解散だってよ。お前さんと一緒に仕事できるのが嬉しくて仕方なかったのにな……」
駿河はそれには答えず、とりあえずこの男に聞きたいことを訊ねることにした。
「影山さん、あれはあなたの仕業ですか?」
「……なに?」
「かんざしのことです。美咲が自分に宛てて、ここに送ってきたとされる」
影山の表情が豹変する。
訊かれたくないことを訊かれた、という、そんな表情。
確実に何か知っている、という手ごたえを感じた。
ここは攻勢にでるべきだ。駿河は畳み掛けるように言った。
「どうやって入手したのか知りませんが、あれは、美咲が送った訳ではないことを確認しています」
返事はない。
「……あなたが僕を憎むのは勝手です。僕もあなたに対して同じ感情を抱いています。ですからいっそのこともう、関わらないでください」
やはり反応はなかった。
駿河は影山に背を向け、他に訊ける人がいないかどうかを探し始めた。
すると。見覚えのある和服姿の女性が歩いているのが見えた。
女将だ。美咲が母と呼ぶ、御柳亭の。
駿河は足早に彼女に近づき、逃げられないようにと思わず彼女の腕をつかんだ。
「女将さん!」
女将……寒河江里美はひどく驚き、こちらを振り向く。
おそらく米島朋子の面会に来たのだろう。
「葵さん……?!」
「何があったんですか?! 教えてください」
里美は目を逸らした。
あの時と同じだ。
美咲と突然連絡が取れなくなって、いったい何があったのかどんなに訊ねても、彼女は何一つ教えてくれなかった。
駿河は彼女の肩をつかみ、真っ直ぐにその眼を見つめて言った。
「美咲の……彼女のためにできることなら、なんでもしたいんです」
すると里美は驚いた顔をする。
「……どうして?」
「好きだからに決まっているでしょう」
少しの間、二人の間に沈黙が降りた。
「……横領の件については聞きました。美咲のお父さんが疑われて……」
まだ少し迷っている様子がうかがえる。
外に出ませんか? 駿河は手を放して、そう声をかけた。
里美は黙って頷き、後をついてきた。
署のすぐ傍にはファミレスがある。お互いにそれほど時間はないが、今しかないと考えている。
すべてをお話しします。
御柳亭の女将は覚悟を決めたかのように、話し始めた。
彼女から聞いた話は驚くべきものだった。




