記憶の引出しが
聡介は苦い思いを噛みしめていた。
昔のことを思い出したからである。かつて戸籍上、妻だった女性がまさに、静香の母親とまったく同じタイプだった。
双子を産んだ彼女の場合、次女ばかりを猫のように可愛がっていたが。
比べるものでもないだろうが、その点、自分の娘はあれよりずっとマシだと思う。
……なんていうことを考えている場合ではない。
それでも、どうにかして彼女に謝罪させなければ。
「聡さん。僕がおごりますから、気晴らしにケーキでも食べに行きません?」
いきなり、和泉がそんなことを言い出す。
やや糖尿病が心配される聡介は、甘いものを控えている。
が、たまにはどうしても欲しくなる。
そこで紅茶にスプーン一杯の砂糖でも入れようものなら、このバカ息子が娘に密告するのである。恐らく事実を誇張して、だ。
そうなると連鎖的に、娘から涙声で電話がかかってくる……。
お父さんには元気で長生きして欲しいのに。
それなのにケーキだと?
「……さくらに言いつけたりしないか?」
すると和泉は笑って、
「自分から誘っておいて、そんな陰険な真似……なんですか? その目は」
どうにも信用しきれないのはなぜだろう?
「とにかく。この件については、一旦保留としましょう。僕だって本当は、ものすごく気分が悪いんですよ……本来なら、やけ酒と行きたいところですが。聡さん、飲めないですもんね。まだ昼間だし」
ひょっとして、気を遣われている?
過去の苦い思い出に浸っている自分に対して。
「葵ちゃんも一緒に来るでしょ?」
しかし駿河は首を横に振った。
「……自分は、少し調べたいことがあります。どうぞ親子水入らずで」
「そう? じゃ、聡さん。行きましょう」
そうして駐車場に向かう。
玄関に出たところで、黒塗りの高級車が横付けされた。
ドアが空いて降りてきたのは、自分達と同じ職業であることを明かす、紺色の制服。
中年男性の二人組で、よく見たら一人は、現在の本部長ではないか。
二人はひどく慌てた様子で、あたふたと院内に駆け込んで行く。
……?
※※※※※※※※※
和泉の運転で向かった先は、京橋川と呼ばれる、お洒落なブティックやケーキ屋が並ぶ街角である。
今日は晴天だが、何しろ気温が低い。
川沿いのテラス席は空いていた。
何の嫌がらせか、和泉はわざわざ屋外のテラス席に座りたいと言い出した。店員がひざかけを持ってきてくれたおかげで、どうにかしのぐ。
「……寒くてすみませんね、他の人間には聞かれたくなかったので」
注文を済ませた後、和泉が言った。
それから、
「聡さん。今回のことは下手をすると、国際問題に発展しかねませんよ」
「……どういう意味だ?」
「気になったので、ビアンカさんのことをよく調べてみました」
彼はポケットから携帯電話を差し出す。
何か資料らしき画面が見えるが、見づらいことこの上ない。
「彼女の父親は民間人ですが、母親の方は……ドイツ政府の高官……さらには警察官僚が親族にずらりと並ぶ家柄のようです」
「なんだって?!!」
だからなのか。先ほど、本部長自ら慌てて病院に向かったのは。
だが。それでは解決になっていない気もするのだが……。
和泉はどこか他人事のように、おしぼりで手を拭きながら呟く。
「たかが日本の1国家公務員の娘が、父親の威光にあぐらをかいて恥をかいた、そんな話です」
「まずいぞ、おい……!!」
「心配いりませんよ……本間静香がたった一言、彼女に当たり前のことを言えば済む、それだけの話じゃありませんか」
「しかし、彰彦……」
正論ではある。
だが……。




