長らくのご愛顧ありがとうございました
まさか、あんなところで和泉に会うなんて。
それにしても、何の用で宮島に来ていたのだろう?
少し怒ったような顔をしていたが。
クールで何にも動じない人かと思っていたが、意外とわかりやすい。
美咲は実家である旅館へ向かって足を早めた。
大切な話があるの、と女将から言われた時、美咲にはだいたい予測がついていた。
おそらく閉館することが決まったのだろう。
創業は江戸中期だという伝統ある旅館であり、長く続いた御柳亭の経営も、とうとう行き詰まってしまったということだ。
それはすべて父が横領したとされている事件の影響だろうか。
もう20年も前の話なのに、未だに引きずっているのだろうか。
経営が苦しいのは、現在の経営方針に問題があるのではないか。
みんなだって薄々そう感じている。でも表だって言う勇気はない。
仕事を失うかもしれないという恐怖や不安を、誰かにぶつけなければ居ても立ってもいられないのだろう。
そういう意味で美咲は的として最適だった。
旅館に到着し、従業員用の出入り口をくぐる。
するとタイミングの悪いことにちょうど、朋子と出くわしてしまった。
美咲は咄嗟におはようございます、と言ったが相手は目を吊り上げて、
「……何しに来たの?」
と、例の金切り声で叫ぶ。
彼女が新人や気に入らない仲居を、いつもこの耳障りな声で怒鳴りつけているのは周知の事実だ。
美咲はいつも、お客様の耳に入らなければいいが……と危惧していた。
「女将に呼ばれて来たんです」
「ここは従業員専用なんだけど。お客様は、正面から入って頂戴!」
そうか。自分はもうここの社員ではないのだ。
美咲は仕方なく正面玄関に回った。
既に何人かの客がチェックアウトし、ロビーでフェリー乗り場行きの送迎バスを待っている。
いらっしゃいませ、と声をかけられた。
「……サキちゃん!」
フロントにいたのは古くからの従業員の美登里である。
おはようございます、と声をかけて彼女に近付く。
「女将は事務所に?」
ええ、そう。
美咲はカウンターを越えて中に入り、そのまま奥にある事務所へ向かった。
「サキちゃん!」
女将である里美は泣き出しそうな顔で駆け寄って来た。
「お母さん……」
「ごめんね、サキちゃん。ごめんなさい……!!」
「泣かないで、お母さん」
美咲はすがりつく母の肩を抱き、顔を上げた。
壁には歴代社長の写真が飾ってある。
伯父で最後か。
「やっぱり、閉館するしかないのね」
「……ええ」
里美は目尻の涙をぬぐいながら、でもはっきりと肯定した。
「いろいろ頑張ったけど、やっぱりダメだったわ。このままじゃお給料もちゃんと払えない。退職金だって……」
「銀行からの融資は?」
今までの借金はすべて藤江の家が肩代わりしてくれた。
「もう無理よ」里美は首を横に振る。「今、弁護士さんをお願いしようって考えているところなの。それと従業員の再就職先を一生懸命当たってるわ」
板前達はなんとか、他の料理屋や旅館にも働き口があるだろう。
仲居達もそうだ。場所にこだわらなければなんとかなるかもしれない。
だけど家族の事情で広島から離れる訳にはいかない人だっている。
「ところで、おじ……社長は?」
社長である伯父はだいたいまともに営業時間内に事務所にいない。
実務はほとんど専務に任せ、自分はゴルフだったり、前の夜遅くまで飲んだくれて家で寝ているかだ。
「……たぶん、どこかの女の人のところじゃないかしら。ゆうべは組合の会合があったから」
「ちょっと女将!」
いつからそこにいたのか、朋子がすごい形相でこちらにやってくる。




