お約束と言えばお約束
結衣は溜め息をついた。
まだ捜査が始まってそれほど時間は経過していないはずだが、妙に時間の流れが遅く感じるのはなぜだろう。
今日は朝10時から捜査会議だ。
班長はいるが、和泉の姿が見えない。どうしたのだろうか。
「ゆーいー」
郁美が捜査本部に姿をあらわした。
ちょっと、と彼女は出入り口で手招きする。別に関係者なんだから堂々と中に入ってくればいいじゃないの。
「……なに?」
「これね、和泉さんに渡して欲しいの」
と、郁美が差し出したのはおそらく彼女のお手製だろう、正直言って見た目はかなり悪質な、たぶん食べ物……。
「何これ……」
「昨夜、真夜中にチャレンジしてみたのよ。ケークサレとかなんとか、甘くないケーキでね、身体にいいと思って、青汁も入れてみた」
彼女の大きな欠点は料理がまるでダメなことだ。子供の頃から女の子らしい遊びにはほとんど興味を示さず、化学や工学などの分野に夢中だったということだから。
「悪いことは言わないわ、郁美。これはやめておいた方が」
「確かに見た目はちょっとアレだけど、味はたぶん問題ないはずよ」
いや、そもそも口に入れたくもないって!!
どうしよう?
「あ、日下部さん! ちょうどいいところに」
通りかかった相方を呼び止める。
「これ、食べてみてもらえます?」
日下部は一目見ただけで、
「お前、俺に何か恨みでもあるのか?」そう言って去ってしまった。
何よあれ、と郁美は怒っている。
「おい、何を持ってるんだ?」次に傍を通りかかった友永が言った。「あれか? 換気扇にこびりついた、酸化した油汚れの固まり。中華料理屋へ掃除にでも行って来たのか」
二人の間に沈黙が落ちた。
「残念だけど、和泉さんならここにはいないわよ。何をしてるのか知らないけど、最近動きが妙っていうか、突然『捜査から外れます』とか言い出したりして、訳がわからないわ」
ほんとうに、どこで何をしているのだろう?
結衣は再び溜め息をついた。
「もしかして……『なんとか君』絡みなの……?」
郁美はじとーっ、と恨みがましげな目でこちらを見つめてくる。
結局『何君』だったのかは判明しないまま、和泉がやたらに可愛がっている少年がいるという事実、郁美の関心はもっぱらその子と彼の関係性に絞られている。
「知らない。たぶん、そうなんじゃない?」
「せめて名前ぐらい調べてよ!! あんたの仲間にも知ってる人、いるでしょう?!」
まぁ、確かにそれはいるだろう……。
結衣はぐるりと辺りを見回した。あ、そうだ。
すぐ近くに駿河がいた。彼なら間違いなく知っているだろう。
が……。
ものすごく声をかけづらい。
彼は真面目に、一心不乱に書類を作成する作業に集中している。邪魔をしては悪い。
そこで結衣は友永に近づいた。
「ねぇ、友永さん。友永さんは知っています? 和泉さんと親しくしてる……篠崎智哉君と仲の良い男の子の名前」
彼は週刊誌をめくりながら顔を上げた。
「ああ、あの製薬会社のお坊っちゃまだろ。藤江周っていう」
そうだった『あまね君』って、めちゃくちゃ愛おしそうに呼びかけ……いや、まさか。
それから結衣は郁美の元に戻った。
「藤江周君、だそうよ。ただ、関係性についてまでは不明」
郁美は周君ね、とブツブツ呟いている。
ライバル(?)の名前が判明したところでどうなるというのだろう。そんな結衣の内心を知ってか知らずか、友人はふと言いだした。
「ところで例の西島進一だけど。あの民自党幹事長の孫なんですってね」
「へぇ」
「へぇ、じゃないわよ。もしかしたら、この捜査本部、解散かもね」
「……どういうこと?」
聞き捨てならない単語が聞こえた。




