身体は大人、心は子供!!
「……やっぱり、私のことを疑うの?」
碧い目が真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
「え? な、なぜです……?」
「なんとなく、そんなふうに感じたから」
聡介は思わずドギマギしてしまい、彼女から目を逸らした。
だが、少しして思い直し、真っ直ぐに彼女の目を見つめ返した。
「我々は関係するすべての人間を疑います。それが仕事だからです。どうか、お気を悪くなさらないでください。でも……」
「でも?」
「直感ですが、俺はあなたを疑ったりしません」
何を言ってるんだ? 俺は!!
口にしてから聡介は、思わず口を手で抑えた。
彼女の言動が娘を思わせるからか?
いやいや、捜査に私情は禁物だ。
「と、と、とにかくですね! あなたをそんな目に遭わせた相手には、必ず謝罪に来るよう手配します!!」
ビアンカは少しの間ポカン、としていたが、
「……無駄だと思うわ。彼女、きっと警察の偉い人の娘なんでしょう?」
溜め息交じりにそう言った。
「だって事情を聞きにきた刑事達は、私だけが一方的に悪くて、向こうが被害者。頭からそう決めつけて、私にうん、と言わせたかったんだもの。そういうの、やっぱり現実にもあるのね。小説やドラマの中だけの話だと思っていたわ」
そうだろう。
相手が悪かったとしか言えない。だが。
「……私はそういう小説を読んだことはありませんが、ラストはどうなるのですか?」
聡介が訊ねると、彼女は微笑んで、
「ちゃんと刑事達が証拠を見つけるの。だから、ハッピーエンド」
ハッピーエンドという言い方が相応しいかどうか微妙だな、と聡介は思った。
「現実は小説より奇なり、と言いますが……必ず、正義を施行させます」
「どうやって?」
「美咲さんからも詳しいことは聞いています。私は、彼女が嘘をつくような人間ではないことを知っています。そしてまた、あなたに怪我をさせた女性の人となりも。必ず、謝罪に伺うようにします。たとえ誰であろうと、人に怪我をさせて黙っているような真似は許されません」
「……無理しなくていいのよ」
聡介は首を横に振る。
「信じる者だけに奇跡は訪れるのですよ。必ず、奇跡を起こしてみせます」
※※※※※※※※※※※※
ビアンカが入院している安芸総合病院は、県警本部と大通りを挟んだすぐ向かいにある。
聡介は病室を後にし、刑事部屋に戻った。
和泉の姿が見えない。
どこにいるのだろう?
部屋中を探して、見つけることができた。
彼は誰もいない刑事部屋の隅にいた。
応接用の簡易ソファの上で、小さな子供がするように、膝を抱え込んで丸まっている。
「おい、廿日市南署に……捜査本部に戻るぞ」
聡介は声をかけ、踵を返しかけたが、ふと足を止める。
返事がない。
「俺が運転するから、鍵を貸せ」
振り返って、和泉の上着のポケットに手を突っ込もうと手を伸ばした。
すると。手首を強い力で掴まれ、引っ張られる。
バランスを崩して、聡介もソファに腰かける形になる。
「彰彦……?」
「……あの人、いつもああなんですか?」
和泉の声にはまったく張りがなく、泣き疲れた幼い子供のように、掠れた暗い声をしている。
「課長か? ああ、大石課長に限らず、上の人間はだいたいみんなそうだ。俺も若い頃はいちいち腹を立てたり、落胆したりしたもんだが、今はもう慣れた」
少し早まったか、と聡介は自分の判断を後悔した。
和泉は黙っている。
「お前も慣れろとは言わないが、あまり深く考えるな。頭を切り替えろ。お前が今、考えるべきなのは、誰がなぜ、あのドイツ人男性を殺したか。それだけだ」
やはり返事はない。
「わかったら、捜査に戻るぞ」
息子の肩にぽんと触れて、聡介は立ち上がる。
「……忘れたい過去をわざわざ思い出させて、人の神経を逆撫でするのが上司の仕事なんですか?」
いったい何を言われたのだろう?
課長から何かよほど、傷つくようなことを言われたに違いない。
あの上司は実に、人を不愉快にさせるという点では優れた才能を発揮する。
まして相手は、この県警の中で問題警官が集められたとされる、あの捜査1課高岡班の刑事だ。
普段はあんな適当な人間だが、和泉には何か、心に大きな深い傷がある。
それはたぶん、聡介が彼と出会う前の話だ。
聡介は思う。和泉がああしてやや意味不明な、ふざけた言動をするのは、心の奥底を誰にも見せたくないからだ。
ただ、と微かな疑問を覚える。
自分が課長の部屋に入った時、和泉は何かひどく怒っていた。
苛立ちが頂点に達した、要するに今時の言葉で言うところの『キレた』状態であった。
何があったのか……。
彰彦、と聡介は息子の名前を呼んだ。
「俺が今まで、一度だってお前にそんなことをしたことがあるか?」
なんて言ってみたが、聡介には彼に思い出させる『忘れたい過去』の詳細をまったく知らない。
和泉もそのことはわかっているのだろう。
しばらくして、
「……ありません……」
「お前もいずれは誰かの【上司】になるだろう。その時は、あの課長を反面教師にすればいい。そうだろう?」
ややあって、はい、と小さな声で返事がある。
いい歳をして手のかかる子供だ、こいつは。
しかしなんとなく、聡介は笑みが零れてくるのを抑えることができなかった。




