あの日あの時、あのシチュエーションで
「何しょうるんじゃ、お前は!!」
直属の上司ではあるが、和泉自身が捜査1課長の大石警視と直接会って話すことなんて、年に一度あるかないか、というところだ。
ロクに現場を知らないくせに、いつもゴタゴタ文句ばかりを言うこの課長を敬遠こそすれ、尊敬などできる訳がない。
部下達と上司の板挟みになり、窓口となっている聡介には本当に頭が下がる。
一緒に行く、と言う聡介をどうにか宥め、和泉は1人で課長の執務室に向かって部屋のドアをノックした。
そして開口一番、上の台詞である。
どうやら別れた妻が起こした事件のことがこの人の耳にも入ったらしい。
「よりにもよってあの、本間警視正のお嬢さんだぞ? わかっとるんか!!」
「……わかってますよ。あのバカな父親に、輪をかけたバカ娘です」
「……!!」
今は転勤で他の県警に移ったが、2年前まで広島県警で本部長を務めていた本間警視正と言う人は、とにかく評判が悪かった。
仮にもキャリアなのだから勉強はできたようだ。だが、そこに人格が必ずしも伴うとは限らない。
些細なことで何か気に入らないことがあると、無能だと部下を怒鳴り散らし、本来なら表彰の対象になるであろう手柄を上げた職員に対しては、目立ちたがり屋とのレッテルを張る。
癇癪持ちの子供が無駄に歳だけとった、と影では囁かれていた。
実際、この本部長が在籍していた間、県警の検挙率はガクンと下がったものだ。
警察官達の士気が大幅に下がったから、と理由は言うまでもない。
ところでその当時、和泉は何を気に入られたのかしらないが、この本部長に運転手として使われることがあった。
それが、別れた妻と知り合うきっかけにもなったのだが。
そして和泉はこの父と娘のやりとりを、何度も聞いたこともある。
正直言って『愚の骨頂』というのはこういうことかと感じた。
人の口は心の中にあるものから語る、という。
あの父親は部下がどれほど無能で、自分がどれだけ優秀か、そればかり。
娘は今度発表される高級ブランドの新作がどう、とそればかり。
この家族の一員になれれば、少なくとも金には不自由しないだろうな、と和泉はそう考えた。
そして思いがけずチャンスはやってきた。
『娘が君のことを気に入っているようなんだよ。どうだね、悪い話じゃないだろう?』
確かに悪い話ではない。
ちょうどその頃、和泉には金が必要だった。
母が体調を崩して入院していたからだ。
特別な関心のある異性はいない。
断る理由が見つからない。
ただ、それだけだ。
我慢すればきっと、それなりの恩恵には与れるだろう。まわりの嫉妬、羨望を一身に集めた状態で、聡介だけが本気で心配した。
どうやって安心させよう。
どんな上手い嘘をつけば、ごまかせるだろう?
あれこれ考えたが、結局何も思いつかないまま、なんとなく結婚式の日を迎えた。
あの日のことは今でも覚えている。
和泉の方は、ほとんど招待客がいなかった。母親も病院から出ることはかなわず、ほとんど付き合いのない親戚一同には事後報告だったからだ。
来てくれたのは聡介と、当時同じ尾道東署刑事課にいた、数人の仲間達。
それから聡介の二人の娘と、その伴侶達。
和泉はなるべく彼らを見ないようにした。
何も知らない聡介の娘達は、笑顔で祝福してくれた。
だけど、男性陣の目だけはごまかせなかった。
父は最初から最後までニコリともしなかったし、子供の頃からの友人である有村優作と今岡慧、この二人はどちらも聡介の義理の息子なのだが、終始何か言いたげな顔で、結局何も言わないまま帰って行った。




