台風のようにはいかない
翌朝。今日は一時限目にある世界史の授業で使う資料を用意しなければならない当番となっているため、周はいつもより早めに家を出た。
玄関を出ると偶然、隣室の住人と顔を合わせた。
といっても、父親の方だけだが。
「おはようございます」
「おはよう」
「……高岡さん、一人なんですか?」
「ああ、彰彦は何か急ぎの用があるとか言って先に出たんだよ」
二人で一緒にエレベーターに向かいながら周は言った。
「そういえば昨日、和泉さんを訪ねてきた女の人がいましたよ」
「彰彦を……?」
「昼間と、夜の7時半ぐらいと、少なくとも2回は。新聞記者か何かですか?」
聡介は少し考えた後、
「……どんな女性だった?」と、逆に問い返してきた。
そういえば警察は部下の異性関係に敏感だと聞いたことがある。
「背はうちの義姉と同じぐらいで、髪は巻き毛のセミロングで……って、それぐらいしか覚えていません」
そうか、と彼は呟いて黙ってしまった。
「……大変なんですね、警察の人っていろいろ」
しかし聡介は生返事を返すだけで、何か深く考え込んでしまったようだ。
駐車場に向かう彼と別れ、周は学校に向かう道を歩き出した。
ホームルームで担任が、来月進路相談のため保護者との三者面談を行うと発表した。
いよいよそんな時期になったのだ。
周はまだ迷っていた。
和泉が勧めてくれるように県警へ入りたい気持ちはある。だけど、他にも考えていることがある。
その話を賢司にしたことは、まだない。
自分の意思など関係なく、藤江製薬に入社させられるかもしれない。
配られたプリントを折り畳んでカバンに入れながら、周は何と言って兄にこの話を切りだそうかと悩んだ。
円城寺は既に進路は決まっていることだろう。
智哉はどうだろう?
子供の頃は将来、父親のような医者になるのだと言っていたが。
「藤江はいいよなぁ~、悩まなくても就職先まで決まってんだろ?」
周のすぐ前の席に座っているクラスメートの1人が振り返って言った。
周は返事をしなかった。
「俺だって大企業の幹部の家に生まれたかったよ。うちなんて、どこにも何にもコネもなければ金もない、あるのは住宅ローンぐらいってな」
黙っていると相手はなんだよ、と舌打ちして前を向いた。
そのすぐ後、周、と智哉が声をかけてきた。
「今度の連休って、どれか予定が空いてる日ある?」
11月には祝日が2回ある。後半は振替休日のため3連休になっていたはずだ。
「今のとこ、いつでも大丈夫」
「お義姉さんは?」
「たぶん、いつでも平気。なに、遊ぶ予定? 姉さんも仲間に入れてくれんの?」
「絵里香がさ……一緒じゃなきゃ嫌だって」
智哉が苦笑しているのは、実の兄よりも他所の姉の方が良いのか、という複雑な気持ちに違いない。
「実は信行の兄弟達と、うちの妹を連れて、宮島水族館に行く約束してるんだ。それで、周達にも一緒に来てもらえないかなって」
「人数的にはちょっとした保育園の遠足だな。わかった、じゃあ詳しいことはまた信行も入れて相談しようぜ」
それからふと、周は友人の顔を見て訊ねた。
「……なぁ、智哉。お前ってもう進路決めてんの?」
「僕? ……まだはっきりとは。でも、たぶん就職組だと思う」
彼の家庭も何かと複雑な事情を抱えている。
「進学しないのか?」
「いろいろあってね……余裕がないっていうか。でも、全然不満じゃないよ」
本当だろうか?
周の知る限り、智哉は決して成績不振ではない。むしろ勉強ができる方だ。
「もし何かやりたいことが見つかったとしても、社会に出てからでも勉強はできるし。要は自分次第ってこと」
そうだな、と返事をしながら周はふと考えた。
智哉も円城寺も二人とも、家族思いで優しい、素晴らしい友人達だ。
自分をひどく憎んでいる人がいる一方で、心から大切にしてくれる人もいる。
それに何より、義姉は自分の味方だと言ってくれた。
だからもう、気にしないことにする。
自分に対する悪意が存在するとしても、それはそれとして事実として受け止める。
けれど。
暖かくて優しい気持ちで包んでくれる人達がいる。
そのこともまた、真実なのだ。




