お兄さんは警察庁の……
もしかしたら、という予感があったのは確かだ。
このままで終わる訳がない。元県警本部長だった本間警視正の娘、静香という女性の人となりを、聡介はそれなりに知っていた。
県警幹部である父親に、西条の有名な酒蔵の家に産まれたという母親。
幼い頃から欲しい物は何でも手に入れてきただろう。意のままにならないことなどなかったに違いない。
実際、和泉との縁談も、彼女の方が積極的に父親に働きかけ、とんとん拍子に進んだのだから。
ただ、正直言って聡介は不安だった。
和泉は本当に彼女を愛しているのだろうか?
どう考えたって、彼と性格的にぴったりくるとは思えなかった。
かつての自分と同じ過ちを繰り返したりしないだろうか?
本人に訊ねてみたところで、返ってくる答えは同じ。
『好きでもない女性と結婚しようなんて思いませんよ』
だけど。
実際、結婚生活はすぐに破綻した。
仕事が忙しかったのは事実だ。何日も帰宅できない日が続き、たまに休めたところで家族サービスなんて無理な相談だっただろう。
いつも和泉のすぐ傍にいた聡介は、そういう実情を熟知していたから、離婚に至った時もさほど驚かなかった。
しかし、彼女が和泉を訪ねて自宅までやって来た時には、少し驚いた。
何の未練もなくきれいさっぱり別れたのだと思っていたからだ。
まさか、こんなことになるなんて……。
宮島駐在所勤務の巡査から入った一報は、紅葉谷公園で障害事件発生、それだけだった。
あそこは観光地だから、昼間から酔っぱらった人間同士がささいな原因で諍いを起こしたのだろうかと、聡介は軽く考えていた。
だがしかし、被害者の氏名、加害者の氏名を聞いている内に、全身の血が引いて行くのを覚えた。
事件現場が先日、アレックスの遺体が遺棄された場所近くであったため、すぐに見張りの警官が駆け付け、怪我人は出たものの、大事には至らなかった。
怪我をしたのはビアンカ・ハイゼンベルクという白人女性。その名前に聴き覚えがあると思ったら、アレックスの遺体を確認しに来てくれた女性ではないか。
彼女はすぐに本土の病院へ運ばれ、静香と美咲は事情聴取の為、管内である廿日市南署へ移送された。といっても取調室ではない。簡素な応接室である。
聴取には聡介が当たった。
和泉には病院へ行き、被害者であるビアンカから話を聞くよう命じておいた。
ところで静香はしばらくしおらしい様子を見せていたが、別れた夫が病院へ行ったと聞いた途端に、態度が変わった。
静香は椅子にふんぞり返り、美咲に向かって怒鳴りつける。
「あなた、和泉の何なの?!」
「……私は……」
美咲は返答に困っているようだ。
「彼女は、私の自宅の隣室に住んでおられる主婦で……彰彦と何か特別な関係にある訳ではありません」
聡介が代わりに答えたが、
「主婦? 旦那がいるくせに、他所の男にまで手を出すの?! 信じられない!!」
信じられないのはこっちだ。
その時、バタバタと急に廊下が騒がしくなった。
なんだ? 聡介は腰を浮かせて、ドアを開けようとした……が、外側から先に扉が開いた。
「これはこれは、本間警視正のお嬢さんですね?大変なご無礼を失礼いたしました。外にお車をご用意しましたので、ささ、どうぞ……」
廿日市南署長とその部下が手を擦り合わせながら入って来た。
「え、いいの?」
「もちろんでございます!!」
「署長!何の真似ですか?!」
署長は苦い物を飲んだような顔で聡介を見つめると、あとで、と静香を連れて応接室から出て行ってしまった。
「美咲さん、怪我はありませんか?」
今さらながら聡介は訊ねた。
「はい、私は何ともありませんが……ビアンカが心配です」
「一緒に病院へ行きましょう。彰彦を向かわせていますが、私も、あいつ一人では心配ですからね」
仕方ないので、聡介は苦手な車の運転を引き受けることにした。




