事後承諾
そろそろ周が学校から帰ってくる時間だ。
大浴場の掃除を終えた美咲は手を止め、掃除用具を片付け始めた。
帰る支度をしないと。
服を着替えて、携帯電話をチェックする。周からメールが入っていた。
『相談がある』というような内容だった。
何の相談だろう?
進路のことだろうか。それとも、他に何かあるのだろうか?
美咲は急いで自宅へ戻った。
だいぶ急いだつもりが、気がつけば午後7時を回っていた。夕食の支度に関しては、既に準備ができている、と弟から連絡があったので安心して真っ直ぐ帰宅した。
玄関を空けると猫達が飛びついてくる。
靴を脱ぎながら美咲が猫達の頭を撫でていると、思いがけず賢司の靴が置いてあることに気付いた。
この頃、彼はどういう訳かきちんと帰宅するようだ。
仕事が暇なのだろうか?
まずリビングに顔を出す。台所に周がいた。
賢司は……姿が見えない。
「周君、ただいま。相談したいことってなぁに?」
弟の隣に立ち、何か手伝うことはないかと探してみる。
「姉さん、今度の土日って何か予定ある?」
予定も何も、実家の手伝いをするつもりでいる。
まさか遊びに行く予定だろうか……?
「実はさ……」
弟の口から聞いた話は、俄かには信じられない話であった。
しばらくは何も言えないでいた。あの『白鴎館』にモニターとして宿泊する?
それも、結婚記念日だから?
「周君、私……」
「帰っていたのか、美咲」
美咲が正直な気持ちを言おうとするのを遮るように、賢司が自分の部屋から出てきた。
「話は周から聞いているだろう? 他にどんな予定があるとしても、キャンセルしてくれ。もう先方に了承の返事をしてしまったからね」
夫は面倒くさそうに言い放つと、テレビのスイッチを入れた。
嫌なタイミングで『白鴎館』がCMを流している。
ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
こちらに反論の余地も与えず、すべては事後承諾ということか。
美咲はちらり、と周の顔を見た。
彼はどちらかというと怒っているというよりも、どこか気まずそうな、そんな表情をしているようにも見えた。
賢司から何か言われたのだろうか。
だとしても、彼を責める気にはなれない。
とにかく気持ちを落ち着かせよう。美咲は意識して深呼吸することにした。




