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根拠と証拠

 思っていた以上に全員が冷静であった。


 仲居頭である米島朋子が、経理の不正を暴こうとした会計士である有村優作を殺害しようとした殺人未遂、その上、彼の妻に対して何か気に入らないことがあったのか、包丁を振り回し、庇った松尾に怪我をさせて警察に逮捕された。

 美咲の元へその報せが入ったのは、今日の午後のことである。


 急いで宮島へ、実家へ向かった。到着したのは夕方のことだ。


 旅館にとっては一大スキャンダルである。

 ただでさえ経営が圧迫されている中で、追い打ちをかけるかのような事態に、筋違いではあるが、朋子を逮捕した警察を少しばかり恨んだ。


 しかし集まっていた顔ぶれは皆、動揺したりしていなかった。


 いつかこんなことになるだろうと思っていた。

 そんなふうにも見えた。


 女将である里美はずっと俯き、専務である松尾は時々思い出したように時計をチラチラ見ては、僅かに溜め息をつく。


【被害者】である有村優作は相変わらず。顔色一つ変えることなく、帳簿とパソコンを見ている。

 そして社長である伯父の寒河江俊幸はといえば、どこかホッとしたような表情をしているようにも見えた。

 自分の愛人が逮捕されたというのに。


 しかし、この点で美咲には長い間、疑問があった。

 朋子は本気で伯父を愛していたのだろうか。

 そして伯父もまた、少しぐらいは彼女に対して愛情を抱いていたのだろうか。

 

 それから、不意に伯父である俊幸が口を開いた。

「ま、なんじゃ。これで一つはっきりしたことがある」

 全員が社長に注目する。

「結局、うちの旅館を圧迫しとった【膿】は、隆幸たかゆきと朋子じゃったちゅうことじゃな」

 隆幸とは美咲の実の父親の名前である。

「ふん。昔から朋子の奴は、何がいいのか知らんが隆幸に肩入れしよったけぇな。あれは何年前の話じゃったかのぅ? 隆幸のバカが東京に出るんじゃ言うて、ここを辞めて出て行ったんは。おおかた朋子が、そのための資金をうちの経営資金からひねり出したに違いない。あいつはそろばんも使えるしのぅ……」

 しばらくは誰も、何も言わなかった。


 沈黙を皆の同意と受け取ったのか、俊幸は続ける。

「案外、咲子も関わっとったんじゃないんか。金さえありゃ、なんてしょっちゅう口にしとるような女じゃったけんな」

 母はそんな人間ではない。


 いい加減に……叫びかけた美咲を遮ったのは、あの会計士だった。

「その論理の根拠はなんだ?」

 なに? と伯父はいったん口を閉じる。


「証拠がどこにあるのか、と聞いている。たとえ身内であろうが、根拠も証拠もなしに人を横領犯呼ばわりするのは、ただの誹謗中傷だ。仮にも上に立つ人間が軽々しくそんなことを口にするなんて、育ちが、人間性が知れるというものだな」


 何を言われたのか理解するまで、やや時間がかかったらしい。

 次第に俊幸の顔は真っ赤に染まっていき、やがて金魚のように口をパクパクさせ始めた。


「とにかく、社長」

 また何か喚こうとした伯父を止めたのは、専務の松尾である。

「今は善後策を考えましょう。せっかく経営が持ち直して来たところです。当面は仲居頭不在でどうやって回していくか、そして……従業員すべてに緘口令を敷くこと。まず、そこから決めませんか」

 驚いた。

 美咲はあらためて、すぐ近くに立っている専務の横顔を見つめた。

 

 この人は基本的に『何も言わない人』だと思っていたからだ。

 有村優作が肝臓に例えていたほど、彼は自分の意見を口にしない。


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