びっくりしたこと
「今度の土曜日……そう、宮島の『白鴎館』っていうところ」
時々テレビで宣伝する高級旅館だ。
そういえば、あれから姉の実家はどうなったのだろう? いまのところ、これと言って連絡が来ていない。あまりせっつくのも悪いと思って控えている。
ぼんやりそんなことを考えていた周だが、あら、という亜沙子の声で我に帰る。
「やだ、私ばっかりしゃべっちゃった。ごめんなさいね。何か大事なお話があるんでしょう? 私、席を外した方がいいかしらね」
新里が返事をするより前に、彼女は店を出て行ってしまった。
「……綺麗な人だね」
周がぽつりと口にすると、
「そう、そうなんだ! 彼女の音色はまったく、他に類を見ない……」
と、それまでどちらかというと寡黙だったはずの彼は、突然彼女のことをべた褒めし始めた。
もしかして……いや、確実にこのおじさんは先ほどのバイオリニストに好意を持っている。
新里は周の知る限り、今まで独身を通してきた。
収入の不安定さに加え、全国各地を飛び回るような生活だ。家庭を持つとなれば自然にそれらの要素も加味されて、なかなか踏み出せずにいるだろう。
それに、父が言っていた。
『宏樹は奥手だからな……』
自分の勘が当たっているとしたら、上手く行けばいい。
周は微笑みながら彼の話に耳を傾けた。
「今の人、おじさんの彼女でしょ?! 結婚するの?」
キリのいいところで周が口を挟むと、新里の顔は真っ赤になった。
「……一応、そのつもりで付き合っているよ……」
「おめでとう!!」
父も生きていたら、きっと喜んだだろう。
本当は父のこと、兄のことを聞きたかったのだが、それどころではなくなってしまった。
「でも、まだプロポーズはしていないんだ……」
なんだそれ。
※※※※※※※※※※※※
結婚詐欺の被害者として届け出を出していた女性のリストを見ていて、駿河は驚きを禁じ得なかった。
その中に聞き覚えのある名前があったからだ。
「森川沙代……?」
「なんだお前、知り合いか?」
隣に座っていた友永がミルクティを啜りながら冗談めかして言ったが、少しも笑えない。
彼はいつも甘いミルクティを愛飲している。だいたいがペットボトルだが、今日は売り切れだったと、紙コップのを飲んでいる。
これで2杯目だ。
糖尿病にでもなりはしまいかと、駿河は少し心配している。
「知り合い……と、言えばそうなります。学生時代の同級生ですから」
すると友永はニヤリと笑う。
「まさかお前、相談受けたりしてるんじゃないか? 貸した金を返してもらうにはどうしたらいいか、とか」
駿河は頭の中でいろいろと、彼女と再会した時のことを思い出した。
確か婚約者がいたのだが、昔付き合っていたミュージシャンの彼氏と再会して浮気して、それがバレて婚約解消された。
ミュージシャンの彼氏に貸していたお金を返して欲しいのだが、どうしたらいいのか。
「ガイシャは……ミュージシャンでしたか?」
相棒の眼が点になる。
それから彼は眼を擦って、資料を改めて見直す。
「……お前、寝惚けてんのか? 奴は確かに留学生だが、そういう記録はどこにもねぇぞ」
「そう、ですよね……」
同姓同名の別人か。その可能性はありうる。しかし連絡先の電話番号を見て、自分の携帯電話の着信履歴と照らしてみせると、同じ番号であった。
「友永さん、つかぬことを伺いますが」
駿河は頭痛を覚え、眉間を軽く揉んだ。
「……女性というのは、同じ期間中に複数の男と遊んだりするものですか?」
額を触られた。
「熱ならありません」
友永は一つ溜め息をつくと、
「お前な、そんなことにいちいちびっくりしてたらデカなんてやってらんねぇぞ。殺人事件の動機で一番多いのはなんだ? お坊っちゃま?」
バカにされてムッとしたが、不思議と友永が相手だとそれほど腹も立たない。
「そういうことなら、お前だって身をもってよく知ってんだろうが」
すぐ近くで会話を聞いていたらしい影山が口を挟んだ。
「聞いたぜ。お前の元カノん家、家計が火の車だったんだって? 俺もこないだ、本人を見たけどよ……ああいう清楚なフリをした女が、一番性質悪いんだって。頭の悪い男なら一目見ただけでコロっと騙されるだろうよ。おおかた……」
耳を傾けてはいけない。
わかっているのに、気がつけば全身が震え出している。
駿河は俯いて唇を噛みしめた。
その時だった。




