謎の女の名前は
日下部さんのバカ……!!
結衣は胸の内で相棒を呪った。
まぁでも、あのタイミングで『実は班長のことが好きなんです!!』なんて告白したところで、冗談として笑い飛ばされるのがオチだ。
他の刑事達はそれぞれ書類をまとめたり、雑談をしたり、スマートフォンに夢中だったりと様々だが、かくいう上司は熱心に捜査資料を読んでいた。
以前にいた所轄の刑事課長、および班長はどちらかというと、仕事はそこそこ、自分より上の立場の人間には米つきバッタよろしくひたすら頭を下げ、少しでも何か問題が起きると『保身第一』を地で行くような人達だった。
それに比べて、高岡警部はどうだろう。
こんな遅い時間まで一生懸命、とにかく一刻も早く事件を解決したい、という気持ちがよくわかる。
それは自分の功名心のためではなく、あくまで被害者のため。
結衣は給湯室に向かい、上司の為に温かい緑茶を淹れた。
「あの、班長……」
それからふと、結衣は気になっていたことを口にした。
「被害者はいったい、どこで殺害されたんでしょう?」
鑑識の話では被害者は別の場所で殺害され、わざわざ宮島まで運ばれて遺棄されたとのことである。
「それだな、わからないのは」
上司は眉間を指で抑えながら言う。「今、監視カメラを調べて、西島進一と別れてから後の被害者の足取りを追っているんだが……」
「西島進一と、お好み焼き屋さんでケンカ別れしてから、のですね?」
「今のところ、本通り商店街のスナックに入ったまでは確認できている」
「スナックって、営業時間に限りがありますよね? いつまでも店にいられる訳じゃないでしょうから、普通は家に帰るか……」
「新しく引っかけた女性の家に泊まるか、だな」
想像したらつい、顔が赤くなってしまう。
上司自身も自分の言ったことに赤面している。
「た、例えばですよ?! 帰宅するにしたって、もう広電だって運転は終わってる時間だったでしょうから……タクシーか……」
「タクシー……そうか、彰彦!!」
班長は息子の名前を呼んだが、返事がない。
和泉の姿はない。
彼が捜査本部を外されたという話は結衣も聞いた。理由は知らない。
彼は一瞬だけ気まずそうな顔をし、それから段々と悲しそうな表情に変わっていく。
「あの、班長……?」
「何をしているのか知らないが、捜査よりも大切なことがあるらしい」
そういえば。
事件が起きる少し前、和泉が怪しい動きをしていたことを結衣も覚えている。
「そんな! 和泉さんって、人格的にはともかくとして、刑事としては誰よりも熱心じゃないですか!!」
何か深い事情があるらしい、と上司は呟く。
「どうして、あいつは何も話してくれないんだろうな……彰彦にとって俺はそれほど、信用に値しないっていうことなのか」
それは結衣に向けて問いかけられたというよりも、ほとんど独り言のようだった。
「そんな訳ありませんって!!」
よくわからないが、思わず口を出してしまう。
「あの変人……和泉さんが班長のことを信頼してるのは、傍から見ていてもわかります。だってそうでしょう? 今みたいに好き勝手してるのも、班長がきっと何とかしてくれるっていう信頼……いや、甘えですね」
すると上司の表情が歪んだ。
「甘えたいんなら、それなりの事情を話してもらわないとな」
「あ、あの。私にも兄がいるから、なんとなくわかるんですが」
結衣はちゃっかりと班長の隣に腰を下ろした。
「男の人って、あんまり相談を人に持ちかけたりはしないみたいですよ。自分の殻に閉じこもって、一人であれこれ考えるタイプが多いみたいです……」
確かにな……と小さな声が聞こえた。
「そ、それより事件のことですよ! スナックを出てから後の足取り、ですよね? 被害者を乗せたタクシー運転手を探せばいいんですよね」
結衣は勢いよく立ち上がりかけた。
が、思いがけず班長に手をつかまれる。
温かくて、ごつごつした手だった。
ドキン!! と、心臓が跳ねあがる。
「今日はもういい、帰って休め」
結衣が何か言おうと口をパクパクさせた時、班長の携帯電話が鳴りだした。
ディスプレイの名前を見ると、なぜかパッと顔が明るくなる。
「さくら? さくらか……!!」
え? 女の人の名前?!
誰……?!!




